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24年ぶりに挑む2度目の五輪 代表GKに託すもの
サッカーGK 下田崇(最終回)

Tokyo2020
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2019/10/9 5:30
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下田崇はGKコーチとなってわずか6年で東京五輪をめざす世代の代表コーチになった(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

下田崇はGKコーチとなってわずか6年で東京五輪をめざす世代の代表コーチになった(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

サッカーの五輪代表と日本代表でゴールキーパー(GK)コーチを務める下田崇(43)の指導者として始まりは小学生が相手だった。初めてのサッカー教室は走り回る子どもたちに教えることができず、ぼう然としてしまう。だがコーチになって6年後には東京五輪世代の代表コーチに選ばれる。今回は選手だった1996年アトランタ五輪から24年を経て指導者として東京五輪を迎える下田の心情をつづる。(前回は「Jリーグ広島で正GKに 五輪不出場の悔しさ生かす」

◇   ◇   ◇

下田崇は、ただ1人出場できなかったアトランタ五輪の悔しさを引退までの14年をかけて輝かしいキャリアに変えてみせた。J1リーグ通算288試合、J2では43試合に出場を果たし、うち3年にわたって118試合連続フルタイム出場やJ2でのPK阻止率100%の快挙を達成。最後は度重なるひざのケガに苦しみ、手術を境にしてレギュラーを離れたが、2010年の引退まで日本を代表するGKであり続けた。

クラブ入りから17年間、サンフレッチェ広島一筋で現役に幕を閉じ、指導者としても再び、広島からスタートを切る。引退時、GKコーチ就任オファーを受け、勉強のため地元小学生へのサッカー教室に参加した日の衝撃は、世界最高峰のワールドカップ(W杯)や五輪代表を指導する今でも決して忘れられないと振り返る。当時10歳だった長男が通う地元小学校からの依頼に、もちろん下田らしく、準備は入念過ぎるほど入念にして臨んだ。プロだから教えられる、子どもが相手だ、などと全く考えない真剣さで。

■始まりはいつも壁の前から

「心して臨んだはずでしたが、子どもたちは元気に走り回っていて、話聞いてもらうのも一苦労、何をどう教えればいいのか、時間は過ぎるし焦りだけが……あの時、本当にぼう然と立ち尽くしていた自分の姿は今でも時々思い出すんです。あの子たちにとって、今日はサンフレッチェのゴールキーパーが来た、たったそれだけが思い出だったんじゃないかと、何だか恥ずかしくて。自分には何が足りないか思い知らされました」

オリンピックは出場できず、クラブでも第3GKからレギュラーにはい上がるのに時間がかかった。指導者デビューも、10歳の子どもたちを前に立ち尽くしてしまう。しかし始まりはいつも壁の前から――これが、下田が築くキャリアの、変わらぬ原点なのだろう。

コーチになり、「監督力」をも感じるようになった

コーチになり、「監督力」をも感じるようになった

11年にトップチームのコーチに就任し翌年には指導B級ライセンスを取得。GK専門のA級ライセンスも取るプロセスで、改めて監督というポジションの重み、戦術と同様、チームマネジメントで発揮される「監督力」をも感じるようにもなった。小学生を前にした自分に、足りなかった要素は何だったのか。その宿題を背負い、Jリーグのコーチとなって丸6年たった17年、東京五輪を目指す代表監督に森保一が就任し、GKコーチのオファーを受けた。戦術だけでも、技術を見るだけでもなく、選手のモチベーションを高める監督の姿に日々学んでいる。

世界の大舞台を経験させてくれた初めての監督、西野朗(64)とは22年間で、監督と選手、監督とコーチ、と異なる立場で2度も仕事をした。ハリルホジッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身、フランス籍)の解任という緊急事態にも、「選手の良さ、個性をいかにノビノビ発揮させるかを、少しも慌てずに見極めていた。22年たって改めて勉強しました」と、ロシアW杯での指揮官を表現する。

02年日韓W杯を目指し、五輪代表監督を兼任したトルシエ(フランス)に呼ばれた際には、日常生活にも細かく注意をする監督方針に触れた。06年のドイツW杯を目指したジーコ(ブラジル)にJ2から1人選出されると、トルシエとは反対に今度は自主性が尊重されるチームで難しさに直面する。それぞれの代表監督のマネジメントは、システムや戦術とはまた違う特色を表す。

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