ベルリン音楽祭2019 能楽上演に注目集まる

アートレビュー
2019/10/6 6:00
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コンサートシーズンの幕開けを告げるベルリン音楽祭が、8月30日から9月19日まで、フィルハーモニーを主会場に開催された。26のコンサートで取り上げられた作曲家は25人。65以上の作品が、世界最高レベルの22の音楽団体、50人を超えるソリストによって演奏された。

エリオット・ガーディナー指揮、革命的ロマンティックオーケストラ(C)Adam Janisch

エリオット・ガーディナー指揮、革命的ロマンティックオーケストラ(C)Adam Janisch

ドイツ連邦政府が出資するベルリン芸術祭公社とベルリン・フィルハーモニー財団との共催で、今年のテーマはフランスのロマン派の大家にスポットを当てた「エクトル・ベルリオーズとヨーロッパ近代」。特筆すべきは、国際交流基金ケルン日本文化会館設立50周年記念事業として、能楽の梅若研能会の公演が公式プログラムに組み込まれたこと。フィルハーモニー初の本格的能公演は、チケット入手が困難なほどの注目を集め、会場は希有な精神性に満たされた。

19世紀初頭、哲学を支柱とする近代的な総合大学がベルリンに創設された。言語学者・人文学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトが理念を固め、初代総長を務めたことから、戦後はフンボルト大学と呼ばれている。弟のアレクサンダー・フォン・フンボルトは、世界中を探検して自然と景観の多様性を究明した博物学、地理学の泰斗。アレクサンダーは1842年、パリでベルリオーズと出会い、執筆中の『近代楽器法と管弦楽法』をプロイセン国王に献呈することを勧めた。国王はベルリオーズからの献呈に大いに感謝した。

ベルリンの心臓部、元プロイセン城跡に、フンボルト兄弟のコスモポリタン的理念を具現した「フンボルト・フォーラム」なる巨大博物館が、まもなくオープンする。今回のテーマは、フンボルト・フォーラムのオープニングを意識したものと思われるが、それだけではない。今年は、アレクサンダー生誕250年、ベルリオーズ没後150年の記念イヤーなのだ。紹介されたベルリオーズ作品は7曲にとどまったが、後世の作曲家の大半が、ベルリオーズによって開発、理論化された近代的管弦楽法に少なからず感化されてきた。テーマの一貫性はこの点にある。

サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団(C)Monika Karczmarczyk

サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団(C)Monika Karczmarczyk

オープニングを飾ったのはベルリオーズのオペラ『ベンヴェヌート・チェリーニ』(1838年)。腕は確かだが放蕩(ほうとう)者の彫刻家チェリーニには恋人テレーザがいるが、恋敵とのいざこざで殺人と誘拐の罪を犯してしまう。しかも、教皇から依頼された彫刻は完成していない。絶体絶命のピンチに、教皇は最後のチャンスを与える。チェリーニに1日だけ猶予を与え、彫像を完成できれば、その犯罪を許し、テレーザと結ばれる。だが、不首尾に終われば絞首刑という提案だ。これまでの「傑作」をすべて溶解炉に投げ込み、鋳造は奇跡的に成功する。

ゲーテはこの場面を「新しい芸術作品への挑戦と勝利の象徴」とみなした。『ベンヴェヌート』は、オペラ界の旧弊に挑戦する芸術家ドラマであり、ベルリオーズこそが第2の革命児チェリーニなのだ。しかし、発表当時パリの聴衆はその革新性をまったく理解できず、酷評を受けて長い間、日の目を見ることはなかった。近年、再評価が進んでいるが、その主題、管弦楽法ともに、ワーグナーの『タンホイザー』や『マイスタージンガー』の先駆をなす傑作。ハイテンションで疾走する合唱オペラの構造も『オランダ人』を彷彿(ほうふつ)させる。

ウラディミール・ユロフスキー指揮、ベルリン放送交響楽団『影のない女』乳母役のイルディコ・コムロシ(C)Monika Karczmarczyk

ウラディミール・ユロフスキー指揮、ベルリン放送交響楽団『影のない女』乳母役のイルディコ・コムロシ(C)Monika Karczmarczyk

ガーディナー率いるいにしえのピリオド楽器による革命的ロマンティックオーケストラが、セミオペラ形式で『ベンヴェヌート』の鮮烈な演奏を披露。ベルリオーズの巨大な情熱に圧倒された。今年はベルリンの壁崩壊から30年目にあたるが、1989年はフランス革命200年。革命的ロマンティックオーケストラの設立も1989年だ。聴き慣れたモダン楽器とは別の曲のよう。合理的に整理される以前のカオスの塊が革命的な爆発力となり、どこを切っても鮮血がほとばしり出る。

ガーディナーは、ベルリオーズが引き継ごうとしたフランス革命とナポレオンの精神を200年後に蘇(よみがえ)らせ、その直接的なインパクトで「近代的なもの」の革命性を目覚めさせた。もう一方のガーディナーの手兵、モンテヴェルディ合唱団は芸達者な役者ぞろい。その躍動感がベルリオーズの精髄を目が覚めるように可視化した。

9月1日には、ベルリン放送交響楽団(RSB)がリヒャルト・シュトラウス『影のない女』を演奏会形式で秀演した。モーツァルトの『魔笛』のようなメルヒェンオペラを意図したとはいえ、登場人物は20人を超え、筋立ても思想も難解。3時間半に及ぶ大作を字幕なしで聴き通すことは、作品に習熟した聴衆でない限り容易ではない。

しかしながら、音楽監督のユロフスキーはRSBの弦パートの芳醇(ほうじゅん)な厚みと管パートの機能性を存分に生かし、シュトラウスの最高傑作と呼ばれるにふさわしい魅力の限りを引き出した。ちなみに、シュトラウスがベルリオーズの『管弦楽法』を補筆し出版したのは1905年のことだ。

文豪ホーフマンスタールとシュトラウスが第1次大戦中の4年間、どのような想いと祈りをこめて『影のない女』の創作に没頭したかを想像すると胸が熱くなる。初演は1919年のウィーン。彼らがヨーロッパの永遠平和を願ってザルツブルク祝祭を創設したのは1920年。以後の100年間に、欧州と全世界を襲った数々の悲劇と、それらを超える美的理想との二元世界に思いをはせ、芸術の力とその無力をかみしめた。

乳母役のイルディコ・コムロシの圧倒的な歌唱が磁力となり、聴衆の熱狂を誘った。皇后役のアンネ・シュヴァーネヴィルムスは、持ち前の気品と透明感に温かみが加わり、往年のヤノヴィッツを思わせ陶然。皇帝役のトールステン・ケルルがやや弱い他は高水準の歌手ぞろい。染色師の妻役のリカルダ・メルベートは明瞭な発声で決然たる存在感を示した。

フィルハーモニー初の本格的能公演を開いた梅若研能会(C)Adam Janisch

フィルハーモニー初の本格的能公演を開いた梅若研能会(C)Adam Janisch

ベルリン音楽祭は現代音楽や新作の比重が高く、非西洋圏への目配りも利いているが、フィルハーモニーの大空間に初めて能舞台をしつらえた、純然たる能公演は歴史に残るプロジェクトとなった。「ベルリオーズとヨーロッパ近代」というテーマを相対化する東洋からの視点は、文化人類学の源流となったフンボルトのコスモポリタニズムに由来するものだろう。

また、ベルリン音楽祭と縁の深い作曲家・指揮者のペーテル・エトヴェシュは、能楽師の青木涼子の凛(りん)とした謡と舞から霊感を得て『くちづけ(Secret Kiss)』を作曲したが、そのドイツ初演と連続したことも幸いだった(9月8日、フィルハーモニー室内楽ホール)。

9月3日のフィルハーモニーは開演前から知的な熱気に包まれ、教養市民層の厚みを改めて実感。ホワイエでの1時間を超えるプレトークは聴衆であふれ、ホール内にも緊張感がみなぎっていた。80ページに及ぶプログラム冊子は能楽事典にもなる力作で、観客の理解を大いに助けた。

演目は前半が能『猩々(しょうじょう)』と狂言『雷』、後半は能『恋重荷(こいのおもに)』。能楽堂の数倍はある空間に、謡と囃子(はやし)の響きが冴(さ)えわたり、狂言のセリフも明晰(めいせき)に聞き取れる。そのミニマルな音楽だけでも能楽の妙味が十分に伝わってきたが、もとより総合芸術としての醍醐味は、超自然なものを象徴するシテの所作と舞の抽象性にある。

橋掛かりを渡って囃子方と地謡の面々が登場。その厳粛で精緻な動作からして客席は呪縛され、異世界への扉にいざなわれていた。リアリズムを止揚したシテの抽象的様式美に、固唾をのんで見入るベルリンの観客たち。とりわけ猩々の舞は、その華麗な衣装、髪形、そして仮面ともども強い印象を残した。

続く狂言『雷』は、躍動感にあふれた演技に笑いが起こる。だれもが滑稽なるものの神髄を満喫した。

休憩後の『恋重荷』は、内面の苦悩が微細な所作となって表出される練達の舞台。後半、恋に破れた老人の亡霊と女御との張りつめた場面では、三世梅若万三郎の至芸を堪能した。俗受けを排した通向きの大作だけに、いささか客席の集中力が緩む気配も。しかし、能楽における演目と表現の多様性を通して、古今東西を超えた神話的テーマの深みと広がりに開眼した観客の喝采は、予想した以上の成功の証しとなった。

今年もメシアンをはじめ、ラッヘンマン、シュニトケ、クセナキス、ヴァレーズ、リーム、細川俊夫ら、数多くの現代音楽が取り上げられた。なかでも最も深く繊細に、心と感性を揺さぶられた作品は、1952年デンマーク生まれのハンス・アブラハムセンによる『Let me tell you』(2013年)だった(9月11日)。テキストは英国の音楽学者で作家でもあるポール・グリフィスの小説に基づく。シェイクスピア『ハムレット』のオフィーリアのセリフをモンタージュし、過去・現在・未来について語る3部構成。

ロンドン交響楽団の音楽監督となったサイモン・ラトルが、同響ともにフィルハーモニーに帰還するとあって、会場の熱気は格別だったが、静謐(せいひつ)な独白の音楽が始まるや、しんしんと雪の降りつもる夜のしじまに連れ去られた。とくに未来を語る第3部は、北欧風の暗さと神秘的な輝きが入り交じり、限りなく優しく憧れにみちた音楽が、未知の世界から到来する光となる。

ソプラノのバーバラ・ハニガンがクリスタルな雪の華となって、下降する器楽のゆらめきをガラス細工のように結晶させた。後半はメシアンの遺作『彼方(かなた)の閃光(せんこう)…』(1992年)。神的自然の神秘を解き明かすべく、多彩な表現・技法を窮め尽くしたメシアンの白鳥の歌が、驚異的な緻密さで響きわたった。カリスマとしての華がラトルにはある。

(音楽評論家 藤野 一夫)

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