大阪の超高層ビル、半世紀の歴史 街に活力とリスク
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関西タイムライン
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2019/10/3 7:01
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洋の東西を問わず、建造物の高さとは権威と財力の証しである。そびえ立つ超高層ビル群は、さしずめ都市の活力を示すバロメーターだ。大阪に高さ100メートルを超える超高層ビルが登場して約半世紀。高さと活力を求め、空を拓(ひら)いてきた"大阪摩天楼"の軌跡をたどった。

大阪に初めて100メートル超のビルが誕生したのは1973年1月。大林組が北浜に建てた新本社「大阪大林ビル」(現在は北浜ネクスビルディング)だ。高さ120メートル。黒い外装から「黒ビル」と呼ばれた。68年に東京に完成した霞が関ビルディング(147メートル)よりは低いが西日本一高いビルとなった。

■「黒と白」で幕開け

大阪で初めて高さ100メートルを超えた大阪大林ビルは「黒ビル」といわれた(大阪市中央区)

大阪で初めて高さ100メートルを超えた大阪大林ビルは「黒ビル」といわれた(大阪市中央区)

だが2カ月後、その座を本町に完成したテナントビル「大阪国際ビルディング」に明け渡すことになる。高さ125メートル。白い外装から「白ビル」と呼ばれた。手掛けたのは竹中工務店だ。大手ゼネコンがしのぎを削った「黒と白」のノッポビル競争が大阪の超高層ビル時代の幕開けとなった。

大阪市によると、高さ100メートル超の超高層ビルは今年3月末現在、市内に156棟。20年間で3.8倍に増えた。工事中や計画中の案件を加えると近い将来、180棟以上の100メートル超ビルが林立することになる。500棟以上ある東京23区に及ばないが、名古屋市の30棟を大きく引き離す。

1919年制定の市街地建築物法によって日本の建物の高さは百尺(31メートル)以下に規制されてきた。制度が大きく変わるのは高度成長期。63年の建築基準法改正で容積制が導入され、百尺制限は撤廃された。

様々な手法で超高層ビルが建設されたが、長年、大阪の街づくりに携わり、市の計画調整局長も務めた公益財団法人「都市活力研究所」顧問の岩本康男さんが「画期的な制度。あれから都市の形がはっきりと変わった」というのが88年制定の再開発地区計画制度だ。

街づくりに貢献すればエリア一帯の容積率をスポット的に緩和できるようになった。「開発者が緑地や文化ホールなどを造ってくれれば、見返りに容積率のインセンティブを与える。容積率の緩和がアメ、街づくりへの協力がムチです」

その第1号が90年代の再開発でホテルや高層住宅が集積した大阪アメニティパーク(OAP)。それに続いたのが西梅田貨物駅跡地の再開発だ。梅田で最も高い「ハービスOSAKA」(97年完成)などの超高層ビルが建設された。

2000年代には都心回帰を追い風にタワーマンションの建築が相次ぐ。さらなる容積率の緩和によって梅田北ヤード跡地などの再開発も促された。百尺制限が守られてきた御堂筋は95年に原則50メートルまで規制が緩和され、さらに14年に100メートル超のビルも可能になった。昨年完成した三菱UFJ銀行大阪ビルは御堂筋で初めて100メートルを超えた。

■「負の遺産」の恐れ

梅田地区で200メートル超のビルが建たないのは大阪国際(伊丹)空港の航空制限区域にかかるためだが、14年に全面開業した「あべのハルカス」は航空法の規制緩和によって日本一の高さ300メートルを実現した。「近鉄百貨店の建て替えを検討した06年秋時点で高さ270メートルのビルを考えていた。それが翌年、規制緩和で航空制限区域から外れると知り、それなら背伸びをして高さ日本一の300メートルを狙おうとなった」(近鉄不動産の中之坊健介取締役)

超高層ビルは狭い土地を有効活用し、緑地などの公共空間を生み出してきた。都市の成長のエンジンでもある。一方で巨大ビルは目立ちたがり屋だ。景観を破壊し多くの資材とエネルギーを消費する。維持や修繕に多大なコストもかかる。

「都心回帰の受け皿になっているタワーマンションも今後、老朽化すれば負の遺産になる恐れがある」と警鐘を鳴らすのは、高層ビルに詳しい高崎経済大学の大沢昭彦准教授。「どんな都市にしていくのか明確なビジョンがないまま、短期的な利益しかみていない供給が無計画に進んでいるのは東京も大阪も同じ。開発を進めるべき場所とそうでない場所のメリハリをつけるべきだ」と指摘する。

大阪には超高層ビルがあふれ、すでに過剰なのか。それとも高さと活力を求め、まだ増え続けるのか。次の半世紀、人口減少を見据えた、大阪摩天楼の未来像が見えない。(岡本憲明)

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