プロレス完全復活 世界で仕掛ける頭脳戦
プロレス経営学(1)

プロレス経営学
2019/10/7 2:00
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テレビに映し出されるプロレスラーの激闘に男性ファンが熱く血をたぎらせたのは遠い昔。長きにわたる低迷期に苦しんだプロレスは、かつての興行からコンテンツ企業に中身を一変させ、完全復活を遂げている。支えたのは鍛え上げた肉体だけではなく、グローバル&デジタルを見据えた大胆なマーケティングと頭脳戦。経営の教科書のような復活ストーリーは、オランダ生まれの敏腕プロ経営者とプロレスの「再会」から――。

【次回記事】 持ち歩くプロレス スマホが変えた映像戦略

■ハロルド・メイの選択

海外事業の不振などで業績が低迷していた老舗玩具大手、タカラトミーの業績を立て直したハロルド・ジョージ・メイ(55)が2017年11月に突然の社長退任を発表した時、業界や証券市場は驚きに包まれた。翌日以降、同社の株価は1割以上も下がり、市場の「メイ・ショック」を克明に伝える。

タカラトミー社長時代のメイ

タカラトミー社長時代のメイ

メイはサンスターで執行役員、日本コカ・コーラで副社長を務めた後、タカラトミーに招かれ、創業家以外で初のトップとなった。定番品の底上げや新規ブランドの創出、巧みな商品戦略で同社をよみがえらせる。退任した年の営業利益は131億円と8年ぶりに最高益を更新し、入社した年の約4倍に伸ばした。入社した2014年3月に400円台だった同社の株価は、退任を発表する頃には2000円に手が届きそうだった。

当然ながら退任後のメイの去就は注目され、業界内ではいくつかの企業名が具体的にささやかれた。退任を明らかにして以降、メイの元には経営に課題を抱えるいくつもの企業からオファーが寄せられた。そのなかに変わり種が1本あった。

「新日本プロレスはどうですか」

退任表明の数日後、メイの携帯電話を鳴らしたのは同じ業界に身を置き、顔見知りだった木谷高明(59)。カードゲーム会社ブシロードの創業者で、新日本プロレスリング(東京・品川)を12年に子会社にしていた。

新日本プロレスは伝統ある国内最大のプロレス団体だが、当時の年商は40億円に満たない。1600億円あったタカラトミーのわずか40分の1だ。メイにとって思ってもみなかった提案だった。驚いたメイの脳裏にふと、幼き日の光景がよみがえった。

■デストロイヤーとブッチャー

デストロイヤーさんは日米交流に尽力したとして、旭日双光章を贈られた=共同

デストロイヤーさんは日米交流に尽力したとして、旭日双光章を贈られた=共同

メイは8歳の夏の終わりに、父の仕事に伴って家族で来日した。オランダ語しか話せず、街中の日本語もインターナショナルスクールの英語も雑音にしか聞こえない。友達もいない異国の日々の心の支えになったのが、当時テレビのゴールデンタイムで中継していた黄金期のプロレスだった。

技の応酬や力の対決は言葉の壁を軽々と超える。プロレス好きだった父と毎週末、テレビの前にかじりつく瞬間だけは日々の孤独とつらさを忘れられた。夢中になったレスラーも自分と同じ外国人たち。「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー、「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャー。やられても立ち上がり、闘志をむき出しに日本人レスラーらと戦う姿はメイを奮い立たせ、前を向かせる力を与えた。

やがて日本語と英語を覚え、生活になじむとともに、いつしか疎遠になっていたプロレス。再会したのは40年近くが過ぎた2009年ごろだった。米ニューヨーク大院を修了し、6つの言語を駆使して4つの会社を渡り歩いたメイはその頃、日本コカ・コーラの副社長として「コカ・コーラゼロ」のヒットを主導していた。

ある日、日本人の妻が「最近、プロレスが面白い」と薦めてきた。妻はその後、プロレス人気復活を支えることになる「プ女子(プロレス好き女性)」のはしり。誘われるがまま、深夜のテレビ番組で40年ぶりに見たプロレスは「鮮やかに進化していた」。かつての熱狂が胸中によみがえり、テレビを消した後も爽快感が残った。

■「100年に一人の逸材」VS.「世界的スター」

そのときメイが見たのは、「100年に一人の逸材」として売り出していた新日本プロレスのエース、棚橋弘至(42)と、数年後に世界最大のプロレス団体「WWE」で世界的スターに成長する中邑真輔(39)だった。メイは進化を感じたが、当時のプロレスは長く続いた暗黒時代のさらに底。新日本プロレスの売上高は10億円台で、ピークの90年代後半から4分の1にまで落ち込んでいた。

新日本プロレスの棚橋弘至選手(9月、兵庫県神戸市のワールド記念ホール)

新日本プロレスの棚橋弘至選手(9月、兵庫県神戸市のワールド記念ホール)

「PRIDE」や「K-1」といった総合格闘技にファンを奪われ、新たな魅力を打ち出せないままだったプロレス。だが最も暗い夜明け前を過ぎれば、空は少しずつ明るさを取り戻す。若くて華のある棚橋や中邑の登場は、「プ女子」と呼ばれる新たな客層を呼び寄せた。2人はその後、プロレスの人気復活をリングの上からけん引していくことになる。

一方、リング外ではこの頃、2つのゲーム会社がプロレスを「興行」から「コンテンツ企業」に生まれ変わらせようとしていた。下地を作ったのは05年に新日本プロレスの親会社になったゲームソフト開発のユークス。立て直すことはできなかったが、経費管理を徹底させて会社を少しずつ筋肉質に変えていった。続いて12年にユークスから全株式を引き継ぎ、反転攻勢ののろしを上げたのがブシロード。JR山手線の全車両を選手の写真でラッピングするような大胆なマーケティング戦略を武器にプロレスのイメージを一新し、右肩上がりの軌道に乗せた。

試合会場はプ女子やファミリー層で埋まり、テレビのバラエティー番組で選手を見る機会も増えた。新日本プロレスの売上高はそれから6年で5倍以上に急伸する。V字回復の立役者であるブシロードの木谷から、新日本プロレスを次のステージに引き上げる役割を託されたのがメイだった。

数カ月悩んだ後、メイは両手に余るオファーの中から、誰もが意外に受け止めた新日本プロレスを選ぶ。プロ経営者の「キャリアの集大成」にする覚悟だった。

■世界大手はIPで稼ぐ

「任期中の突然の退任も、次がプロレスというのも、最初聞いたときは驚いた」。タカラトミーの業績回復とメイの手腕をつぶさに見てきた東海東京調査センターの栗原智也シニアアナリストはそう振り返る。だが今ではその選択に納得している。「メイさんは格闘技好きだし、よく考えればうってつけの人材。マーケティングのプロなので新日本プロレスをもっと伸ばしていけるだろう」

実際、メイが新たな舞台にプロレスを選んだのは、プロレスに「スポーツビジネス」としての大きな可能性を見たからだ。一つはグローバル戦略。「日本では人気の野球も世界で盛んな国はせいぜい10カ国。サッカーも世界の半分ぐらい。それに比べてレスリングや格闘はローマ帝国の時代から世界中にあるし、ルールも単純明快。世界共通言語としての可能性がある」

もう一つがIP(知的財産)戦略だ。スポーツビジネスの世界的潮流はチケットなどの興行収入ではなく、利益率の高いIPで稼ぐ。欧州のサッカークラブなどの世界的大手は動画配信や放映権料、ライセンスなどのIP収入が6~7割を占める。新日本プロレスのIP収入はまだ2割未満で、伸びしろが感じられた。

ブシロードによって国内ではチケットが取れないほどの人気が復活したとはいえ、人口減少により国内市場が縮小に向かう日本で興行メインの経営は早晩行き詰まる。海外にプロレスをコンテンツとして輸出する「グローバル&デジタル」こそが、メイに求められた次のステージの仕事だった。

幸いなことに、すでに海外でもコアなプロレスファンはエンターテインメント色の強いWWEに比べて競技色の強い「NEW JAPAN PRO-WRESTLING」の存在を知っていた。まずは海外で興行を打ち、認知度を高めて動画配信の会員に引き入れていく。法務にも強いメイのもと、煩雑な契約書の束を乗り越え、世界に羽ばたこうとしている新日本プロレスに足元のファンは意外な反応を見せた。

ハロルド・ジョージ・メイ 新日本プロレス社長

ハロルド・ジョージ・メイ 新日本プロレス社長

■「国内を軽視している」

「海外進出よりもまずやることがあるだろ」「国内を軽視している」――。新日本プロレスの公式ツイッターが7月、「9月下旬にアメリカ東海岸3都市で大会開催」と華々しくぶち上げると、あふれかえった反応のほとんどは意外にも否定的な内容だった。

「悲しくなりました」。メイは翌日、公式ブログですぐに反応した。「軸足が日本にあるのは変わりません」と強調しつつも、プロ経営者として名だたる企業を渡り歩いてきた目には、危機感の方が強く映った。「海外にもちょっとトライしてみようかな?というような軽い気持ちや利益追求に走っているわけではなく、日本以外の市場でも広がっていかないと新日本プロレスは将来、生き延びていけないと考えているからです」

■16分で完売

メイが経営に加わった効果は、早くも数字上で現れている。新日本プロレスの19年7月期の売上高は54億円。初めて50億円を突破し、過去最高だった前の期から1割以上も伸びた。IP戦略の要と位置付ける月額999円のサブスクリプション(定額制)動画配信サイト「新日本プロレスワールド」の有料会員数も10万人となり、前年の6万人から1年間で6割も増えた。有料会員の半数は、米国など海外在住者だ。

古参ファンがどれだけ不満を募らせようと、新日本プロレスのグローバル&デジタル戦略は止まらない。その一つの頂点が4月に「プロレスの聖地」と呼ばれる米ニューヨークに初めて乗り込んだマディソン・スクエア・ガーデン興行だ。1万6000枚のチケットをわずか16分で完売。会場に詰めかけた観客の9割以上が外国人だったが、日本人選手の入場曲を日本語で一緒に歌う光景にメイは確かな手応えを感じた。47年前の自分が感じたとおり、プロレスは言葉の壁を軽々と越えていた。

6月のオーストラリア、8月の英ロンドンと、新天地を次々と開拓していく新日本プロレス。19年の海外単独興行は14大会で、前年の5大会から3倍に、17年の2大会から7倍に伸びた。次の照準はアジアだ。新日本プロレスは遠くない時期にアジアでの新たな単独興行を構想している。海外各地で「本物の日本のプロレス」を見てもらい、動画会員を増やしていく戦略を描く。

キャラクターとストーリーの際立ったプロレスは、MANGAやANIMEのように世界を舞台に稼ぐコンテンツの可能性を秘める。そして、そのキャラクターで強烈な個性を見せるのがプロレス団体、DDTプロレスリング(東京・新宿)だ。メイや木谷と同様、独特の嗅覚で可能性をかぎ取ったひとりのIT経営者が、そのDDTに手を伸ばした。=敬称略、つづく

(山田薫)

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(1)プロレス完全復活 世界で仕掛ける頭脳戦
(2)持ち歩くプロレス スマホが変えた映像戦略
(3)リングでプレゼン レスラーという知的財産
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