「息子と同じ道たどりたい」 御嶽山噴火5年で遺族

2019/9/27 9:58
保存
共有
印刷
その他

横浜市の近江屋勇蔵さん(70)と妻、初子さん(66)は、5年前に御嶽山の噴火災害の犠牲になった息子の洋さん(当時26)の最期の日に思いをはせる。「息子が登った道をたどりたい」。洋さんが登ったルートは規制されたままだが、当時を知りたいという気持ちは強くなる一方だ。

御嶽山の噴火で犠牲になった近江屋洋さんが撮影した写真を見る父、勇蔵さんと母、初子さん(21日、横浜市)=共同

洋さんはカメラや車、バイク、登山と多趣味で、興味を持つとのめり込む性格。「好きな車を仕事にしたい」と自動車整備の専門学校を経て損害保険会社に就職し、自動車事故の調査担当に。急に帰省し、ドライブや旅行に連れて行ってくれたこともあった。「照れ屋だから感謝の気持ちを行動で表してくれたのかな」と初子さん。

あの日は会社の同僚8人と山頂まで登った後、噴火に巻き込まれた。「ひょっとして行っていないよね?」。日本百名山の制覇を目指していた息子へ父から送ったメールに返事はなかった。

葬儀の1週間後、警察から、洋さんが避難した岩陰で寒さに震える少女に自分の上着を渡したと聞いた。「何を話したのか、言葉の一つ一つを知りたい」と、同じ岩陰に隠れて生還した女性に警察を通じて連絡したが、「そういう気持ちになれない」と伝えられたという。

昨年9月、洋さんが通ったのとは別のルートの規制が解除され、勇蔵さんは洋さんの登山靴とジャケット、ズボンに身を包み、初子さんとともに頂に立った。壮大な景色と達成感に「彼が山好きになった理由が少し分かった」と涙を拭った。

洋さんは生前、百名山が書かれた手拭いに制覇した山のピンバッジを刺していた。「代わりに下りてあげたよ」。夫婦での登頂後、26個目となるバッジを御嶽山の文字の下に刺し込んだ。5年前、洋さんが山頂で買ってナップザックに入れていたものだ。

噴火を境に、登山の危険性や警戒の必要性が世の中に広まっていると感じる。勇蔵さんは「息子の死が教訓として生かされている。無駄じゃなかった」と力を込めた。

洋さんの登山ルートは規制解除のめどが立っていない。「どういう景色を見ながら、どういう思いで登っていたのか。体力のあるうちに行きたい」。2人は確かめ合うようにうなずいた。〔共同〕

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]