没後81年、山中貞雄忌に小津家も参加

文化往来
2019/10/2 6:00
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山中貞雄監督が1938年、28歳という若さにして中国河南省で戦病死して81年。82回目の命日の9月17日、京都・大雄寺(だいおうじ)で恒例の「山中貞雄を偲(しの)ぶ会」が開かれた。今年は山中と親交のあった小津安二郎監督の遺族も参加した。

京都の大雄寺で開かれた「山中貞雄を偲ぶ会」

京都の大雄寺で開かれた「山中貞雄を偲ぶ会」

才能豊かな若手監督でありながら日中戦争に召集された山中の死は、当時の映画人に深い衝撃を与えた。仲間の監督らは山中を惜しみ、逝去の翌年から山中忌を開いてきた。大雄寺の境内に立つ「山中貞雄之碑」の碑文は小津が揮毫(きごう)している。東京で現代劇を撮った小津と京都で時代劇を撮った山中は、そのモダンな作風に共通点があり、互いの才能を認め合っていた。

戦後も続いた山中忌は70年代に中断するが、山中を描く映画を構想していた黒木和雄監督らの手で84年に再開。今年は再開後初めて、小津安二郎のめい、小津亜紀子さんが出席した。

亜紀子さんは席上、小津が愛した彼岸花の話を披露した。小津の終(つい)の棲家(すみか)となった北鎌倉の家を引き払うにあたり、敷地内に咲いていた彼岸花の球根を、弟の小津信三さん、ハマさん夫妻が受け継ぎ、千葉県野田市の自宅の庭で育てていた。さらに、めいの亜紀子さんが引き継ぎ、世話をした。今年、庭じまいにあたり、亜紀子さんは小津の晩年の仕事場であった長野県茅野市の無藝荘(むげいそう)の庭先に球根を移植。「9月に入って茅野で無事に花が咲きました」と報告した。

山中貞雄のおい、山中照雄さんは、貞雄の兄の清弘さんが残した日記を紹介。「昭和十年(35年)は貞雄にとって一番充実した一年だったと思う。『国定忠次』の世評高く、畏兄の小津安二郎監督もこれまでの作品で最高とほめてくれた」「『人情紙風船』にどうしようもない寂滅感が漂っていると感じるのは僕の思い過ごしでしょうか」といった記述が興味深かった。

(古賀重樹)

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