「やってみなはれ」でかつら取る  山本浩之さん フリーアナウンサー
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関西タイムライン
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2019/9/25 7:01
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 やまもと・ひろゆき 1962年堺市生まれ、大阪府泉佐野市育ち。龍谷大学卒。85年関西テレビ入社、2013年退社しフリーに。現在、MBSラジオ「ヤマヒロのぴかいちラジオ」などに出演。愛称は「ヤマヒロ」。奈良市在住。3男の父。

やまもと・ひろゆき 1962年堺市生まれ、大阪府泉佐野市育ち。龍谷大学卒。85年関西テレビ入社、2013年退社しフリーに。現在、MBSラジオ「ヤマヒロのぴかいちラジオ」などに出演。愛称は「ヤマヒロ」。奈良市在住。3男の父。

■アナウンサーとして35年目を迎えた山本浩之さん(57)。関西の顔として長くテレビやラジオで親しまれてきた。全国的な知名度を得たのは1998年、かつら着用をテレビ番組でカミングアウトしてからだ。

カミングアウトはやはり大きかった。活躍の場が確実に広がった。食品会社から冷凍うどんの商品開発への参加を打診されたことがある。僕とうどんに何の関係がと驚いたが「どっちもつるつるだから」と聞いて納得できた。商品のイメージキャラクターも務め、売れ行きは順調だ。

テレビドラマにも出演した。亡き妻の霊がかつらにとりついた男という役柄で、かつらが浮いたり回転したり。僕を想定した台本ではないし、そもそも僕は役者の経験などないのに「この役はヤマヒロ以外あり得ない」とすんなり配役が決まったそうだ。

■かつらを取ったからすごいとか偉いとかいう気持ちは文字通り毛頭ない。ハゲでも堂々と生きてほしいと説く。

僕はハゲの家系で学生時代から薄毛に悩んだ。テレビ局の面接でも「頭は大丈夫か」と心配された。入社後ほどなくかつらを着用したが、悩みから解放されたと毎日バラ色だった。だが頭を意識するあまり、仕事で失敗もあった。

93年、宮沢喜一首相(当時)が衆院を解散した日。国会議事堂で取材陣が押し合いへし合いする中、僕は政界のキーマンだった衆院議員(同)の武村正義さんの囲み取材の輪の中にいた。その最中、後方から突き出たマイクが僕の側頭部をかすり、かつらがずれてしまった。僕は他のことを何も考えずその場で30秒ほどしゃがみ込み、かつらを直すのに専念した。おかげで武村さんの話を聞き損ない、上司にこっぴどく叱られた。

手品の生放送で司会を務めた時には、手品に使ったオウムが飛んできて僕の頭に止まった。必死でオウムを振り払った。生放送なのにトイレに駆け込み、鏡の前でかつらを直した。大変な恐怖だった。かつら越しの鋭い爪の感触が今も頭皮に残っている。

僕のカミングアウトについて、真実を伝えるべきアナウンサーがすごい真実を告白した、などと前向きに評する声もあった。でも本音を言うと、煩わしさが我慢できなくなっただけのことだ。遊園地では息子たちとジェットコースターにも乗れない。プールや銭湯でも不自由する。キャスターを務めていたニュース番組で降板が決まったのを機にかつらを取ることにした。

20代後半、かつらを着用してニュース番組のキャスターを務めていた

20代後半、かつらを着用してニュース番組のキャスターを務めていた

■アナウンサーを廃業する覚悟だったが、ある討論番組のゲスト出演を依頼された。

「かつらを取るから」と一旦は断った。その頃には僕のかつら着用は局内で公然の事実だった。かつらを取り、何事もなかったかのように振る舞うつもりだった。そっとしておいてほしかった。なのに彼らときたら「ヤマヒロがかつら取るんや」「いよいよやな」などと言い合い、どんどん話を大きくしていった。

討論テーマは急ぎ「ハゲの時代」に決定。僕がかつらなしの頭に帽子で登場。帽子を取り、初公開のハゲ頭に容赦なくレーザー光線を照射するという演出になった。最新鋭の照明機器が準備され、綿密なセッティングに7時間もかけたと聞く。イタリアでかっこいいハゲの男性たちにハゲに関するアンケートまで敢行。番組の内容に僕自身、大いに勇気づけられた。

大阪のテレビ局だからこそできたことだ。何かに挑戦する人がいると、周囲はがんばれと取りあえず応援する。面白そうだからと盛り上げる。大阪らしい「やってみなはれ」の精神だ。この精神に後押しされ、僕はやってこられた。大阪の人たちに大事にし、誇ってほしい気持ちのありようだと実感している。

(聞き手は田村広済)

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