桜の闘将、育んだ北の大地 リーチ・マイケル選手

ラグビーW杯
2019/9/20 17:10 (2019/9/21 0:58更新)
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ロシア戦の前半、タックルを受けるリーチ・マイケル主将(20日、東京都調布市の東京スタジアム)

ロシア戦の前半、タックルを受けるリーチ・マイケル主将(20日、東京都調布市の東京スタジアム)

20日開幕のラグビーワールドカップ(W杯)で、外国出身選手が15人を占め多様性に富む日本代表を象徴するのが、主将のリーチ・マイケル選手(30)だ。15歳で来日し、北海道の高校で泥まみれになってセンスを磨き、屈強な肉体と精神を育んだ。「日本の両親」や恩師の期待も背に、目標とする初の8強入りに挑む。

札幌市西区の住宅街に、芝生が一面に広がる公園がある。リーチ選手は高校時代、近くの札幌山の手高校で練習を終えると、靴を脱ぎ芝の感触を味わうようにその公園を通って下宿先に帰った。

「芝生が多い故郷のニュージーランド(NZ)を思い出していたのかも」。今も「札幌のお父さん、お母さん」と慕われ、留学当初の約10カ月間、自宅で生活をともにした森山修一さん(68)、久美子さん(64)は懐かしむ。

2004年6月に15歳で親元を離れて札幌へ。NZ・クライストチャーチの男子校との交換留学の一環だった。今では190センチ、110キロと筋肉のよろいをまとって桜の戦士をけん引するが、当時は175センチ、75キロほど。修一さんは「ヒョロッとしていて。有望選手に見えなかった」と話す。

来日当初のリーチ・マイケル選手(左)=森山修一さん提供

来日当初のリーチ・マイケル選手(左)=森山修一さん提供

17度の全国高校ラグビー大会(花園)出場を誇る札幌山の手高を率いる佐藤幹夫監督(58)も、同じような印象を抱いた。だがその後の対外試合、体格で勝る相手のトンガ人留学生へのタックルで印象は覆る。「吹き飛ばされ、ケガをする」。そんな思いが頭をよぎった瞬間、逆に相手を倒していた。

当時からセンスと情熱を持ち合わせていた。ラグビー部主将の森山家の三男が帰宅しても、リーチ選手は戻ってこない。修一さんがグラウンドへ見に行くと、居残り練習に励む姿があった。

佐藤監督は「疑問などは放置せず、納得するまでやる」と評する。折に触れ「日本代表で主将になれ」と発破をかけた。

森山家では日本語で会話し、他の息子と同じように久美子さんの手料理を食べ、特別扱いはしなかった。小学生の国語教科書を使った学校での指導で日本語は上達。2年の終わりごろには、体重も100キロ近くに達した。

東海大に進み08年にはフル代表に初選出された。東芝に入り、その後も北海道にたびたび「里帰り」した。12年に結婚する前、妻の知美さんを連れて修一さんが営んでいたすし店を訪れた。久美子さんは「『お母さんのご飯がおいしかった』と初めて明かしてくれた」と笑う。

ロシア戦の前半、タックルを受けながらパスを出すリーチ(中央)=20日、東京都調布市の東京スタジアム

ロシア戦の前半、タックルを受けながらパスを出すリーチ(中央)=20日、東京都調布市の東京スタジアム

20日は修一さんは久実子さんと共に、市内のアイリッシュパブで観戦し、「序盤は表情が硬かったけど、素晴らしい試合を見せてくれた」と話す。リーチ選手が試合後にようやく笑顔を見せていたのを眺め、「勝たなきゃいけないというプレッシャーが強かったのでは。前回大会で南アフリカを破ったように、次のアイルランド戦もやってくれるんじゃないか」と興奮した様子で話した。

会場で試合を見ていた佐藤監督は、「この緊張感の中でよく結果を出してくれた」とたたえた。日本はロシアに先制を許すも、その後は落ち着いた試合運びで逆転した。佐藤さんは「大事なところでタックルを決めるなど、主将としての役割を果たしていた。この調子で予選リーグを突破してほしい」と期待を込めた。

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