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「奇跡ではない」 五輪GKが見たブラジル戦勝利
サッカーGK 下田崇(2)

Tokyo2020
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2019/9/25 5:30
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アトランタ五輪を「特別な経験だった」と振り返る下田崇(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

アトランタ五輪を「特別な経験だった」と振り返る下田崇(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

サッカーの五輪代表と日本代表でGKコーチを務める下田崇(43)は、1996年アトランタ五輪では試合に出場できなかった。だがその経験は大きな財産となり、2018年のワールドカップ(W杯)ロシア大会で、アトランタ五輪でも監督だった西野朗から代表コーチとして呼ばれることになる。今回は王国ブラジルを下した「マイアミの奇跡」を下田の視点から振り返る。(前回は「『マイアミの奇跡』控えキーパー コーチで東京五輪へ」

◇   ◇   ◇

アトランタ五輪代表に選出された20歳の下田崇にとって、オリンピックは夢に見たような華やかな経験を積む舞台ではなかった。しかし、18人の代表中ただ1人出場機会を得られなかった3試合は、23年たった今でもなお、新たな気付きをもたらすほどの「特別な経験だった」と、43歳は振り返る。プロサッカー選手としてどう生きるか、GKの哲学を垣間見て、指導者になった後は、選手との向き合い方のヒントも探せた。指導者ライセンス講習とはまた違う教本は、自身の厳しい経験によって書かれたものでもある。

当時のGKコーチ、ジョゼ・マリオ(65)は、サッカー王国・ブラジルで現役としても、コーチとしても経験豊富なプロフェッショナルだった。「GKには先発もサブもない。常にGKチームとして最高の技術、メンタルを準備する」との方針から、オリンピック前の合宿でも、大会中も正キーパーとなった川口能活(44)と少しも変わらぬ厳しいトレーニングを続けた。

■五輪代表のチームメートに刺激

出身地・広島でサッカーを始め、サンフレッチェと、地元一筋の若者は、チームメートたちの個性にも感心した。キャプテン・前園真聖のリーダーシップや、中田英寿、松田直樹らが自分の意見を周囲に伝えようとする意志の強さ。まだサッカーにも存在感にも自信を持てなかった頃、彼らの自信に満ちあふれた姿は刺激になった。

「メンバーは、皆、チームを少しでも良くしようと意見を言い合う。相手がブラジルでも少しも気後れしたところはありませんでしたし、時には監督にもズバッと考えを伝える。すごいなぁ、と。自分にはない強さだと思いましたね」

指導者になった下田。「五輪では毎日必死だった」(C)JFA

指導者になった下田。「五輪では毎日必死だった」(C)JFA

93年にJリーグがスタートし、23歳以下とはいえ、彼らにはプロ意識がすでに宿っていた。また、23歳以上の選手3人の出場が「オーバーエージ枠」で認められていたが、西野は結束を固めるためあえてそれを使わなかった。そうやって集まった代表は、さらに国際舞台で自分をアピールしようと挑んだ。こうしたチームカラーと下田は異なった。当時、「エキップメント」と呼ばれ、用具などの管理を担当した寺本一博(現在アディダス)はこんな証言をする。

「皆、いい意味での要求をしっかりと持ってアピールできる選手たちでした。でも、用具を担当している自分に対し、シモから何かこうしてほしい、これを準備してくれなどと求められた記憶が全くないのです。覚えているのはいつも黙々と、ただ淡々と、自分のやるべき任務をこなしていた姿。あの代表で寡黙な様子はむしろ印象的でした」

川口能活も、「20年以上たって改めて、シモが感情を顔に出さず落ち着き払い、常に自分を気遣ってくれた態度に深い敬意を抱く」と話している。厳しかったマリオのトレーニングで学び、1人出場できなかった悔しさを味わい得た教訓とは、自分がいるべき場所に立つ努力だと言う。GKコーチという存在がまだ浸透していなかった時代にゴールキーパーになり、マリオの練習で初めて徹底した基礎の反復練習やボールキャッチの正確さを教えられた経験は大きかった。

「GKはいるべき場所に立つ、それが大事なんだ、と。チームにも、そこに自分がいるからこその役割があります。あの代表で自分の役割とは、ヨシカツの出場が決まった時点で、いかにヨシカツに気持ち良くプレーをしてもらえるかでした。一方ではいつ、どちらが先発でもおかしくない、との緊張感を互いが持てる雰囲気を保つ。そう考えて、毎日必死だったように思います。ふて腐れている余裕なんてなかった」

そう言って、笑う。

「いるべき場所に立つ」

GKの技術でもあり、彼の生き方の足場とも聞こえる。土台はこの時すでに固められていたのかもしれない。

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