ウイングスーツジャンプ誕生20年 死の連鎖絶てるか

ウイングスーツ・ベースジャンパーにとって、アルプス山脈の夏は「死の季節」だ。毎年、夏になると、ウイングスーツを着たジャンパーの事故死が増加する。
ベースジャンプとは、断崖などの高いところからパラシュートで降下するスポーツを言うが、ウイングスーツ・ベースジャンプは、特殊なジャンプスーツでモモンガのように滑空するスポーツのことだ。
しかし、2019年の夏は過去数年に比べると、命を落とすジャンパーはずっと少ない。8月上旬時点の死者数は5人にとどまった。2016年の同時期には倍以上の命が失われていた。
2016年当時、ナショナル ジオグラフィックは「Why Are So Many BASE Jumpers Dying?(なぜこれほど多くのベースジャンパーが命を落としているのか?) 」という記事で、過去最多の死者を出した、この年の事故について詳述した。2016年、確認できているだけでも31人のウイングスーツ・ベースジャンパーが亡くなった。滑空をFacebookで生中継しているとき、不慮の死を遂げたジャンパーもいた。
2016年以降、ウイングスーツ・ベースジャンパーの事故死は減少傾向にある。2017年はわずか15人まで減少。2018年は23人に増えたが、それでも、2016年より少ない。そして、ウイングスーツ・ベースジャンプが誕生して20年が経つ2019年は、近年で一番安全なシーズンになろうとしている。
いったい何が起きたのだろう?
死者の多さが際立つスポーツ
ウイングスーツ・ベースジャンプの魅力そのものが、このスポーツの危険さを物語る。高所から飛び降り、自由落下し、パラシュートを開くというベースジャンプの要素に、ウイングスーツ・ベースジャンプは、山や崖をかすめるように飛行するという要素が加わる。特殊なジャンプスーツを着用するウイングスーツ・ベースジャンパーが「パイロット」と呼ばれるゆえんだ。
ウイングスーツは、空気を入れて膨らませ、揚力を生み出す空気力学的なスーツだ。このスーツを着用すれば、大きなムササビのように水平飛行できる。最高時速は225キロにも達するため、滑空には精度が求められる。このスポーツが盛んなのは、スイス、ノルウェー、フランス、イタリアなどの欧州諸国。高い崖が多く、規制がほとんど存在しないことがその理由だ。
スピード感と興奮を増幅させるため、「接近飛行」を試みるジャンパーもいる。山の斜面をかすめるように滑空したり、渓谷や森を抜けたり、地面のすぐ上を飛んだりするのだ。当然ながら、山や崖に近づくほど、飛行で許容される誤差は小さくなる。
一流ジャンパーが渓谷を切り裂くように抜けたり、地面をかすめたり、遠く離れた着陸地点を目指して滑空したりするYouTube動画が話題をさらっていた2016年。米海軍の戦闘機を操縦していた経歴を持つウイングスーツ・ベースジャンパーのリチャード・ウェブ氏は、ウイングスーツ・ベースジャンプについて「影響を受けやすい18~35歳の独身男性の間で最も熱いスポーツ」になったと述べていた。
ソーシャルメディアでの人気、影響を受けやすい人々、ジャンプポイントのアクセスの良さ、ジャンプ規制がなかったこと、これらが重なったことが、2016年に記録的な死者が出た理由かもしれない。

さらに2015年から2016年にかけて、ウイングスーツ・ベースジャンプ界の最高のアスリートが何人も命を落とした。ディーン・ポッター、ジョナサン・フロレス、ウリ・エマヌエーレ、アレクサンダー・ポールといった、いずれも経験豊富なウイングスーツ・ベースジャンパーだった。このことが、さらに人々を不安にさせた。
この年、ウイングスーツ・ベースジャンプをやめたある米国人は匿名を条件に「死亡事故が相次ぎ、うんざりしました」と語る。「2016年をきっかけに、自分が何をしているかを、きちんとわかっている者などいないと気付きました」
もちろん、2016年の死者には、経験豊富なベテランばかりではなく、技術が不足している人々もいた。ウイングスーツ・ベースジャンプが、他のリスクが高いアドベンチャースポーツと異なる点は、ジャンパーの技量と安全性が比例しないことを示している。事実、正反対と言ってもいいくらいだ。経験を積むほどジャンプの機会は増え、自信がつくほど死の確率も高まるように見える。
フランスのシャモニーに拠点を置く米国人のジャンパー、ローレント・フラット氏は「ウイングスーツ・ベースジャンプはスポーツとして、衰退期にあると思います」と語る。「数値では示せませんが、アルプスではジャンパーの数が減少しているように感じています」
フラット氏と異なる意見を持つ人もいる。米国のウイングスーツメーカー、スクイレルのデザイナーで、経験豊富なジャンパーでもあるマット・ガーデス氏は、パイロットたちが2016年の出来事から影響を受けているとは考えていない。
「このスポーツは今も成長しており、毎年、この世界に飛び込んでくる人は増えています。ジャンパーが減少したと考える理由もありません」とガーデス氏は述べ、事実、ウイングスーツの売り上げが伸びていることに言及した。
2017年に死者が減ったことについても、ガーデス氏は簡単な理由を挙げた。
「2017年は、雨が多い年でした。3週間にわたって、アルプスの広範囲が低気圧に覆われたため、ピークを迎えた3カ月における、ジャンプの総数が大きく減ったのでしょう」
命を救うためのトレーニング
2016年、過去最悪の死者数を記録したことを受け、ベースジャンプ界は教育活動にも力を入れている。フラット氏によれば、「亡くなったジャンパーの多くが、自分が何を知らないかを知らなかったのではないか?」と考える人も多いという。
フラット氏は1000回以上のウイングスーツ・ベースジャンプを成功させている。フラット氏とガーデス氏は世界でも珍しいウイングスーツ・ベースジャンプのインストラクターだ。
「私たちは、このような事故を減らしたいと考えて会社を興しました」とフラット氏は話す。「このスポーツはまだ生まれたばかりです。指揮を執る中央組織はなく、門番もいません。だから、経験がなくても、最難度のジャンプポイント(崖の岩棚)に立つ資格があると思い込んでしまう人も現れるのです」

専門家たちは一様に、時間をかけて訓練を積んでから、ウイングスーツ・ベースジャンプに挑むことを勧めている。まず、18カ月以内に200回以上スカイダイビングを成功させ、次に、スカイダイビングからウイングスーツで滑空する、というのが典型的な道筋だ。同時に、ウイングスーツを着用しない通常のベースジャンプも学ぶ必要がある。高さと難易度を変えて、数百回のジャンプに成功しなければ、ウイングスーツ・ベースジャンプには進めないのだ。
ただ、これらの訓練を厳格に行えば、かなりの時間と費用がかかることになる。当然ながら、多くの人は近道したいと考える。
「理想のウイングスーツ・ベースジャンパーは、計画的で忍耐強い人物です」とフラット氏は話す。「少しくらいクレージーでなければ、崖から飛び降りたいと思わないでしょう。でも、命を落とさないためには、論理的に意思決定する力が必要です。ただ、こうした特徴を兼ね備える人物はめったにいません」
そもそも、教育の機会が増えたとはいえ、ウイングスーツ・ベースジャンプの「教室」は安全な場所というにはほど遠い。実際、最近ウイングスーツ・ベースジャンプで亡くなった51歳の米国人は、ラーン・トゥ・ベースジャンプという会社のコースの受講中だった。2019年7月30日には、スイスのラウターブルンネンで、ジョン・マルムバーグさんが命を落とした。マルムバーグさんはパラグライダーの経験が豊富で、ベースジャンプを140回、スカイダイビングを300回成功させていた。マルムバーグさんが事故に遭ったのは補助パラシュートを開くのが遅すぎたためだ。補助パラシュートとは、メインパラシュートを引き出し、展開させるための小さなパラシュートだ。
マルムバーグさんが着ていたのは、空力性能を向上させたつなぎのような「トラッキング」スーツだ。皮肉なことに、このスーツは、腕の間の布を減らして、より動きやすいことがウリで、パラシュートの展開の遅れによる死亡事故を減らすことを期待されて新開発されたものだった。
いくら高性能の装備があっても経験までは補えない。ベテランのウイングスーツ・ベースジャンパーたちは、マルムバーグさんの能力レベルよりも、ラウターブルンネンのコースの難易度が高すぎたのではないかと考えている。
トレンドの転換
ウイングスーツ・ベースジャンプは成長しているとガーデス氏は主張するが、インターネットのデータを見る限りでは、以前ほどではない。
Googleで検索された単語を分析できる「Google Trends」を参照すると、ウイングスーツ・ベースジャンプへの関心のピークは2015年5月だったことを示している。ちょうどディーン・ポッターとグレアム・ハントがヨセミテ国立公園で違法なジャンプを行い、2人とも命を落とすという事故が起きた月だ。2015年5月以降、ウイングスーツ・ベースジャンプの検索は減少し、現在、過去10年間で最低のレベルにある。
ヘルメットに装着できるアクションカメラのメーカー「ゴープロ」は、アドベンチャースポーツのYouTubeチャンネルを持っているが、ウイングスーツ・ベースジャンパーによる接近飛行の動画は以前より激減している。多数の死者が出た2015~16年には、10本ほどの動画があったが、この1年は1本しか投稿していない。しかも、この1本は有名パイロット、ジェブ・コーリス氏の動画にも関わらず、わずか23万回しか再生されていないのが現状だ。ちなみにウリ・エマヌエーレが2016年8月17日に死去する約2カ月前、岩に開いた穴を通過した動画は、再生回数が1000万に到達していた。
米ユタ州モアブのベースジャンパー、アンディー・ルイス氏は「YouTube世代のウイングスーツ・ベースジャンパーが限界に達し、すでにオンラインで見られる以上のことをできなくなったのだと思います」と分析する。
フラット氏も「私は生徒たちに、『YouTubeでヒットを飛ばそうとすべきでない』と伝えています」と語る。「山の斜面を降下する(一人称視点の)動画は斬新で刺激的でしたが、もう目新しさはなくなりました。その後、人々が死んでいくことへの失望感に包まれ、今は『ここからどこへ向かうのだろう?』という状況です」
規制強化は助けになるか?
2019年7月18日、ノルウェーのスンダールで、400回以上のウイングスーツ・ベースジャンプを成功させているポーランドのジャンパーが命を落とした。この男性は1人で、ウイングスーツを装着している最中に崖から落ちたと見られている。救助ヘリコプターが出動し、遺体を発見した。
スンダール市長のストーラ・レフスティエ氏は、ベースジャンパーの権利は尊重するものの、規制が必要という声があるなら拒まないと話す。「ベースジャンプの全面禁止には賛成していません」とレフスティエ氏は述べ、全面禁止することは難しいことを認めた。ただし、「ノルウェーの法律では、救助活動が頻繁に発生し、救助隊員が危険にさらされる場所でのベースジャンプは禁止できることになっています」。地元の警察や救助隊から禁止の要請があれば応えると、レフスティエ氏は明言している。

ノルウェー最大の崖である高さ約1100メートルのトロルベッゲンでは、すべてのベースジャンプが禁止されている。トロルベッゲンでは1984年、ベースジャンプの「父」カール・ボーニッシュが妻のジーン・ボーニッシュとともに、ベースジャンプの新記録を樹立した。その数時間後、ボーニッシュはまったく同じジャンプで命を落としている。その後も死者が続出し、1986年にはトロルベッゲンからベースジャンパーが締め出された。
米国では、国立公園でのベースジャンプは禁止されているものの、土地管理局と森林局の公有地では認められている。さらに、アイダホ州ツインフォールズのペリーヌ橋でも認められ、ウエストバージニア州ファイエットビルのニュー川渓谷橋は年1度だけベースジャンパーに開放される。
フランスのシャモニーも現在、ベースジャンプは禁止されている。32歳のロシア人ジャンパーが無人の別荘に激突し、命を落とした事故を受け、市長が一時規制を承認したのだ。
市民を「人間ミサイルの脅威」から守るために施行された規制はもともと、6カ月の期間を限定したものだった。しかし、3年近くたった今も解かれていない。擁護団体を持たないベースジャンプのコミュニティーだが、自主規制によって安全を確保しようと取り組むほかない。
ベースジャンパーたちは立ち止まっているわけではない。フラット氏をはじめとするフランスのジャンパーは、シャモニー市長や当局者と会合を重ねている。規制強化によって、ベースジャンパーが街に墜落しないことが確約されれば、秋にはエギーユ・デュ・ミディにウイングスーツ・ベースジャンプが戻ってくると、フラット氏は楽観視している。
フラット氏は、ウイングスーツ・ベースジャンプも、やがてはパラグライダーと同じ道をたどる可能性があると考えている。シャモニーではかつて、パラグライダーも禁止されていたからだ。装備が改良され、管理組織が自主的なガイドラインをつくったことで、パラグライダーはシャモニーの空に戻ることができた。
「今では、パラグライダーは家族で楽しむスポーツに近い存在です」とフラット氏は結んだ。
(文 ANDREW BISHARAT、訳 米井香織、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2019年9月16日付記事を再構成]
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