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「マイアミの奇跡」控えキーパー コーチで東京五輪へ
サッカーGK 下田崇(1)

Tokyo2020
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2019/9/18 5:30
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「緊張感を大事にしている」と話す、サッカー日本代表GKコーチの下田崇(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

「緊張感を大事にしている」と話す、サッカー日本代表GKコーチの下田崇(2019年8月、東京都文京区のJFAハウス)

1996年アトランタ五輪で王者ブラジルを1-0で下した「マイアミの奇跡」をベンチで見つめていた男がいる。銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪以来、実に28年ぶりに国際舞台に臨んだ若き代表GK・下田崇(しもだ・たかし、43)は、「GK王国」と呼ばれるサンフレッチェ広島で長年、背番号1を背負ったが、五輪では出番がなかった。2010年に引退すると指導者としての手腕を発揮し、現在は来年の東京を狙う五輪代表と日本代表でコーチを兼務する。華やかなだけではない五輪を経験したアスリートの引退後をたどる「未完のレース」を、スポーツライターの増島みどりが連載する。

◇   ◇   ◇

9月10日、東京文京区にある日本サッカー協会(JFAハウス)殿堂では、毎年「サッカー協会創立記念日」に合せて掲額式典が行われる。98年目の今年、殿堂入りを果たした1人に、アトランタ五輪代表監督を務めた西野朗(64=現・タイ代表監督)がいる。式典中、未知の舞台に果敢に挑んだブラジル戦ほかの映像が流れると、出席者たちからまるでつい最近のような熱い拍手が湧き起こった。今も、日本サッカー史に輝き続ける3試合270分である。しかし西野が率いたチームは、ブラジルを破ったジャイアントキリングさえも序章に収め、若き選手たちはさらに物語を進めた。98年ワールドカップ(W杯)フランス大会初出場の原動力となり、さらに2002年日韓W杯開催国にまで日本サッカーを一気に押し上げた。

激動の隆盛期の起点から23年がたった9月、アトランタ五輪代表GK・下田崇は、日本代表が7大会連続出場を目指す「2022年W杯カタール大会」に向かって鹿島での合宿初日を迎えていた。

昨年、前監督・西野の下、コーチングスタッフの一人としてロシアW杯を経験しているが、予選から3年も先を目指すワインディングロードを戦うのは、監督・森保一(51)とも初めて臨む大仕事となる。

欧州クラブでプレーする選手の参加は過去最多19人となり、中には、史上最年少で日本代表公式戦にデビューした久保建英(18=マジョルカ)ら東京五輪を狙うメンバーも含まれる。各リーグ、各世代、それぞれの経験と目標、全てを融合する代表で、下田はコーチとしてGK陣を束ねる。

ロシアでは4試合全てに先発した川島永嗣(ストラスブール)は36歳のベテラン。30歳の権田修一(ポルティモネンセ)は中堅、シュミット・ダニエル(27)は今季、ベルギーのシントトロイデンに移籍した。練習前も、何か大声で指示するような場面はなく、黙々と準備を行い、トレーニングに入って行く。しかしどの年代でも、目指す試合のレベルが違っていても、追い求める信念は変わらない。

「GKはたった1本のミスで試合を失うポジションだ」

「GKはたった1本のミスで試合を失うポジションだ」

「コーチとしていい緊張感を生み出せるようでいたいといつも思っています。例えば、どこか緩んだ雰囲気の中でボールをキャッチングしても、それは本番では通用しない。たった1本のミスで試合を失うポジションだからこそ、これが試合だ、と思う緊張感を持つのもGKの大事なトレーニングになる。生活でも、選手との距離をどう取るかを考えます」

そう話す。

広島での現役時代、共に戦った森保は、当時地元で目にした、寡黙な男の印象的なエピソードが忘れられないと言う。練習の合間、水分補給中でも、監督から注意を受けていても、練習がなかば終わりかけチームメートがボールで遊んでいるような場面であっても、「絶対にゴールにボールを入れさせたくない」と、緊張感を持ってゴールを見ていると明かしていた。ゴールを守る。その任務にかける、恐ろしいほどの情熱についてである。

「緊張感を保つ」とは、自身がユース年代から積んだ経験にもよる。

■アトランタ五輪、ただ1人ピッチに立てなかった

W杯は国際サッカー連盟(FIFA)の大会のため23人を登録できるが、五輪規則では18人のためGK2人で臨んだ。18人中17人が五輪のピッチに立ったが、ただ1人、下田には出場機会はなかった。同い年で3試合にフル出場したGK・川口能活(44)と、GKコーチのジョゼ・マリオ(65、ブラジル)3人で築き上げた「GKチーム」が大切にしたのもやはり、緊張感であった。マリオは「どうせ自分はサブだから」といった前提の甘えを、たとえ若くとも2人に許さなかったのだ。

「どちらかが試合に出る。しかし、私が2人に常に言い続けたのは、2人ともが試合に出るためにここにいるんだとの緊張感だった。だから、いつ、どんな場面でも、監督に呼ばれれば全く同じ準備ができていた。彼らは、驚くほど忠実に、果敢にその要求に応えて成長してくれた」

現在もブラジル・サンパウロ州でクラブのGKコーチをまとめる統括マネジャーを務めるマリオはそう話し、まだ大舞台の経験などなかった2人と過ごした日々をいとおしそうに振り返る。

日本サッカー史上、今も色あせない「マイアミの奇跡」と呼ばれたブラジル戦での勝利も(1-0)、次のナイジェリア戦(0-2)も、ハンガリーとのグループリーグ最終戦(3-2)も、アップ中も、手の届くところにあったゴールには立てなかった。だから帰国後、「自分はオリンピックには出ていないので特にお話しできるものもないんです」と、取材を受けなかったという。行ったが試合はしていないとの本心からだ。

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