関西にワイナリー文化を カタシモワインフード社長 高井利洋さん
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2019/9/11 7:01
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■創業100年を超える大阪府柏原市のワイナリー「カタシモワインフード」。6月に大阪市で開かれた20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の夕食会で、各国首脳らに同社のワインが振る舞われた。大阪ワインの復権をけん引してきたのが、4代目社長の高井利洋さん(68)だ。

大阪は東部の河内地方を中心に古くからブドウ栽培が盛んで、昭和初期には全国1位の栽培面積を誇った。丘の斜面に沿って、数キロメートルにわたり広がるブドウ畑は私の原風景。ブドウ棚の下のあぜ道を駆け抜け、通学していた。

老舗ワイナリーの長男として、家業を継ぐことに疑問も持たず育った。しかし時代は高度経済成長期に入り、雪崩を打つように畑は宅地へと変わっていった。輸入ワインに押され、最盛期に100軒以上あった醸造所は次々と廃業した。経営難にあえぐ父の姿を見ていたので、大学卒業後は会社員の道を選んだ。

神戸の商社で2年間勤めたが、「24時間が自分のものではないみたいや」と違和感が残った。いよいよ父が畑を売ろうという時「敵前逃亡してええんか」と思い立ち、脱サラして故郷に戻った。

■25歳で継いだ家業は厳しく、大阪ワインは風前のともしびだった。

ワインブームが来たが外国産ばかりがもてはやされ、大阪ワインは見向きもされない。長いトンネルを進むような生活が始まった。早朝から畑に出て、午後は醸造所にこもり、合間を縫って問屋や小売店をまわる。必死の営業の末に商品棚に並んでも一向に売れず、返品で在庫が積み上がった。業者の要求や対応は厳しくなり、悔しさが募った。

転機は1990年代から始めた工場や畑の見学会だ。闇雲な営業だけでなく、消費者とつながる手法に活路を求めた。当初は千枚のチラシを配っても、2、3人が来てくれる程度。地道に試飲会などを重ねるうち、インターネットの普及なども追い風となって、口コミでファンが広がった。大阪で多く栽培するデラウェアはワイン造りには不向きなブドウだが、辛口のワインなど開発して好評をえた。

事業を引き継いだ当初わずか3種類だった商品は約70種類にまで増え、年間出荷量は約60倍の26万本ほどに成長した。G20でテーブルに載る日が来るとは夢のようだ。

朝から晩までワイン造りに奮闘した35歳の頃(一番右が高井さん)。左奥は父で3代目の高井利一さん

朝から晩までワイン造りに奮闘した35歳の頃(一番右が高井さん)。左奥は父で3代目の高井利一さん

■高井さんは2府3県のワイン業者を束ねる関西ワイナリー協会の会長も務める。

今までワイナリーや産地は独立独歩にこだわりすぎた。東京から離れた場所から声を届けるには、業界全体での連携が不可欠だ。「関西にうるさい奴らがいるな」と思われながら、でしゃばっていけばいい。大阪には割烹(かっぽう)料理などの食文化をはじめ、多様な魅力がある。京都や奈良などと手を組み、歴史に支えられた関西独自の文化をもっと発信できるはすだ。

格好の観光資源になるのがワイン産業だろう。大阪の都市部から電車に少し乗るだけで、これだけの産地が広がる。世界広しといえども、ここまで恵まれた環境は珍しい。実際、当社を訪れる海外の見学者は年々増えている。ニューヨークなど世界の都市では、市民が週末に郊外のワイナリーに出かける産地巡りが盛んだ。ワイナリーを市民に身近な観光資源として活用する「大阪ワインバレー構想」も、決して夢物語ではない。

昨年には、西日本で初めての自治体のワイン研究施設が羽曳野市に設立され、醸造業者らが連携して品種改良などに取り組んできた。年内には大阪の風土に合う新種のブドウを発表する予定だ。大阪ならではの個性的なワインで、世界に打って出たい。関西の産地は世界はもとより、国内でも長く苦戦を強いられてきた。目指すは逆転ホームランだ。

(聞き手は水口二季)

 たかい・としひろ 1951年大阪府柏原市生まれ。約2年間の会社員生活を経て、25歳で家業のワイナリー4代目を継いだ。「大阪ワイナリー協会」と「関西ワイナリー協会」の会長を務め、ブドウ畑の保全活動などにも取り組んでいる。
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