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上方の匂い、後世に 歌舞伎俳優 片岡秀太郎さん

未来像

■今年、人間国宝に認定される歌舞伎俳優、片岡秀太郎さん(77)は上方歌舞伎を代表する女形だ。多彩な女性像を演じてきた秀太郎さんが舞台に立つと、江戸時代の大坂の雰囲気が匂い立つ。関西の歌舞伎が低迷した時代にも関西を離れず、上方歌舞伎の再興に力を尽くしてきた。

思ってもいなかったことで喜んでいる。(人間国宝認定が発表された)7月19日は母の祥月命日。生前「あなたは賞には縁遠いと思うけど、人間国宝にだけはなってほしいね」と言っていた母を思い出して泣いた。役者になって約70年。関西で今までやってきて良かったと感無量だ。

■人間国宝となった十三代目片岡仁左衛門を父にもち、5歳で初舞台。「名子役」と評されたが、役者として花開くはずの20~30歳代、関西の歌舞伎は低迷した。

昭和30年代から関西での公演が少なくなり、歌舞伎は年末の京都の顔見世だけという年もあった。芝居をしたいのに、次いつ出られるか分からない。1962年から5年間、父が私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を催行したのはそんなとき。松下幸之助さんら経済界トップの支援もあり、多くのお客様が来てくれた。

その後、澤村藤十郎さんが「関西で歌舞伎を育てる会」を立ち上げ、今年で40回目を迎えた「関西・歌舞伎を愛する会」につながった。当初の出演者は東京の役者さんばかり。上方の芝居を演じられず寂しかったが、それがなければ今はないと感謝している。

■多くの歌舞伎俳優が東京に拠点を移しても、関西に住むことにこだわり続けた。

兄の我當と弟の(十五代目)仁左衛門は東京に移ったが、お父ちゃん子だった私は「ずっとお父ちゃんと一緒にいる」と残った。立役の父から役について直接教わることはほとんどなかったが、普段の生活のなかでいろいろなことを教わった。父亡き後、東京へと誘われたが、芝居が江戸化してしまうと断った。

■次世代の育成にも力を注ぐ。片岡愛之助は養子で、子役として歌舞伎の舞台に出ていたのを見いだした。97年に大阪松竹座で始めた「松竹上方歌舞伎塾」では主任講師を務め、一般家庭出身の青年を育成した。

上方歌舞伎は主役級の役者だけでは成り立たない。松竹の永山武臣会長(当時)に相談したら、「だったらあなたが育てなさい」と。歌舞伎塾の子は関西に住むことが条件。文楽を聞き、上方落語を聞き、大阪弁をしゃべることで、上方のにおいが身につく。

大阪に住む役者が減って、上方の雰囲気が薄まっている。「江戸の荒事、上方の和事」といい、荒々しく力強い江戸の芝居に対して、上方ははんなり、のんどり。同じ演目でも、江戸の役者が演じると上方とは違うものになる。どちらにも良さはあるが、上方の芝居を大事にしたい。

■一時に比べ、関西での歌舞伎公演は増えたが、東京に比べればまだ少ない。

関西の人にお願いしたいのは、昔からのものを大事にしてほしいということ。「判官びいき」に象徴される弱い者を応援する気質は関西のよさだ。阪神タイガースにこれほど人気があるのも、常勝ではないから。こういう情を歌舞伎や文楽にも向けてほしい。

■これからも舞台に立ち続ける決意を新たにした。

「恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)」の梅川のような、主要な役を演じられなくなったのは寂しいが、脇で支えることが今の私のありかた。舞台に立ち続けていればこそ、若い人たちに教えられる。夢は南座で歌舞伎塾の子らを中心に芝居をすること。「旦那の意志を受け継いで後世に伝えます」と言ってくれる弟子たちに、上方歌舞伎を伝えていきたい。

(聞き手は小国由美子)

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