東京・豊洲から晴海にかかる「春海橋」と並行してさびついた橋梁がひっそりと残っている。1989年に廃線になった東京都専用線「晴海線」の橋梁だ。戦後、東京の海の玄関口として晴海ふ頭が物流の要となり、晴海線は57年の開通以降、輸入品などを全国へと送り出した。
晴海線が開通した翌年、日本住宅公団(現・UR都市機構)が高層住宅の先駆けとして10階建ての「晴海高層アパート」を建設。3~4階建ての集合団地が主流だった時代。都内の人口が増え続けるなか、多くの住民が暮らせるよう団地を高層化するプロジェクトが進み、その第1弾として開発された。エレベーターを備え「当時としては最先端のマンションだった」(UR都市機構)。当時の広告には「銀座に近く 東京港を望む」と宣伝文句。今でも使われそうな言い回しだ。
晴海連合町会の事務局長、風間慎輔さん(77)は「物流の拠点で、大きな団地もあり、活気にあふれていた」と振り返る。物流業を中心に人が集まり、にぎわいをみせた。
転機は80年代後半。レインボーブリッジの建設が始まると、状況が変わった。「大型貨物船は晴海までたどり着くことができなくなった」(都港湾局)。貨物船はほかのふ頭へ入港するようになり、取り扱う物品が減った晴海線は廃線になった。
晴海高層アパートも老朽化が激しく、周辺にある低層の団地とともに96~97年に取り壊された。この跡地に建設されたのが「晴海トリトンスクエア」だ。現在、2020年東京五輪・パラリンピックの司令塔である大会組織委員会が拠点を構えている。
五輪・パラリンピックを機に晴海は姿を変える。西側のエリアでは、五輪に向けて選手村の建設が進む。五輪後にマンションに改修されて分譲や賃貸される予定。50階建てのタワーマンションや商業施設など24棟が立ち並び、およそ1万2000人が晴海の新たな住人になる。高層階は1億円を超す高額物件にもかかわらず、第1期の販売申し込みで71倍の倍率がつく人気だ。風間さんは「新旧の住人が融和して、新たな街づくり進めていきたい」とこの街の未来の姿をみつめている。(筒井恒)