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リーチ主将、再びW杯へ 日本との深い絆を胸に

ラグビーW杯
2019/8/29 5:30
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「WELCOME HOME」。風に揺れる垂れ幕に触れ、ラグビー日本代表のリーチ・マイケル主将がほほ笑む。8月中旬、リーチはフィジーにある母の故郷を訪問。9月20日開幕のワールドカップ(W杯)日本大会を前に、自身のルーツや、日本との70年以上にわたる深い縁を再確認した。

「こっちに来ると自然にリフレッシュできる。気持ちが楽になる。ラグビーは完全に忘れられる」。出迎えた約50人の親戚、友人を見回しながらリーチは笑う。

フィジー最大のビチレブ島。海外への玄関口、ナンディから車で1時間半走ると北部の小さな町、タブアに着く。脇道に入り、山に向かってさらに40分。四輪駆動車でしか渡れない川を越えれば、ナトアレブという集落に到着だ。

一行をもてなすため、伝統の飲み物カバを振る舞う儀式が始まった。コショウ科の木の根の粉を水中でもみ出した液体を器で回し飲みする。泥水のような見た目で味も苦いが、気分を沈静化させる効果がある。

母のイバさん

母のイバさん

その輪の中にリーチの母イバさん(59)がいた。村で暮らしたのは1980年まで。現在住むニュージーランド(NZ)から一時帰郷したのは、前日に首都スバで行われた米国戦を観戦するためだった。

2トライで勝利に貢献した息子の晴れ姿を目にし、最高の喜びを味わったようだ。「子供の頃は小さくて痩せていたのに、昨日はゴリラのようだった」。豪快に笑うと、「代表選手になり、キャプテンにまでなってくれるとは。私は世界で一番幸せな母親になれた」と感慨深げに話した。

少年時代のリーチは「絵がうまかった。ラグビーボールを本物よりも上手に描けた。頭も良かった。友達はあまり多くなくて、学校が終わったらすぐ家に帰ってきてずっと家にいるような子供だった」。

今と同じで物静かだった少年が周囲になじめるよう、イバさんが勧めたものがある。「NZの子供はみんなラグビーをやるから、お前もやってくれと言った」。母の思いやりがラグビー選手、リーチの出発点だった。

10日の米国とのテストマッチでトライを決めるリーチ=共同

10日の米国とのテストマッチでトライを決めるリーチ=共同

陽気なイバさんがまた笑って言う。「マイケルは私と同じように顔が美しい。いいところは全部私に似ているのよ」

リーチ自身は「お父さんに似ているところもたくさんある」とフォローする。イバさんが息子に感じるという思慮深さが、その一つだろう。「とても静かで、いつも集中して何かを考えているように見える」

父子で共通「人を助けることを楽しむ」

村ではカバの儀式が終わり、タロイモの葉っぱの煮物などの伝統料理が振る舞われていた。その一団と離れ、1人で膝を抱えて座っていたのが父のコリンさん(62)だった。孤立しているというわけではなく、周囲の談笑に耳を傾けながらも静かに座っている。

リーチ一家の中で、今はNZ出身のコリンさんだけがこの集落に住む。「2017年にサイクロンが来て村の家が壊れたので、直すために来たんだ」。復興を手助けするため、ほぼ独学で身につけた、機械なしで家を建てる方法を地元の人々に伝授している。「人生は永遠に続かない。持っている技術をこちらの人に伝えていきたいんだ」と話す。

父のコリンさん

父のコリンさん

傍らにいたリーチが「肝臓がないんです」と口を挟んだ。コリンさんが補足する。「肝臓の一部と腎臓をあげたんだ。自分の孫と、全然知らない人が必要になったので」

文字通りに身を削って他人に尽くす理由は何なのか。「犠牲という言葉は使いたくない。人を助けることを楽しんでいるんだ」とコリンさん。

その姿勢も息子と通じるところがある。日本代表の同僚、流大が話したことがある。「リーチさんは気にしすぎるくらい、他人のことを思う人」。チームの状況や選手の心情にも常に細かく気を配る。この主将がいなければ、前回のW杯で3勝を挙げることもできなかった。

リーチと日本の縁は、コリンさんの後押しにより結ばれた。息子が15歳で日本に留学したいと言い出した時、母のイバさんは反対した。「若すぎるから違う国、遠いところに行ってほしくなかった」

説得したのが父だった。「寂しくなるけど、自分のやりたいことをやってほしかった。彼が高校(札幌山の手)を卒業して日本に残るか帰るかどうかを聞かれた時も『自分の人生だから自分で決めろ』と言った」

リーチが日本で暮らした期間は、NZ時代とほぼ同じ15年になった。初の日本開催となるW杯で、歴史的な主将も務める。

初めは太平洋戦争、日本と不思議な縁

リーチの一族と日本は、もっと古くからの縁もある。集落の長老的な役割を担うリーチの伯父が、1枚の白黒写真を見せてくれた。写っていたのは、軍服を着たリーチの祖父エモシ・ナティリさんだった。

軍服姿で写真に納まる祖父エモシ・ナティリさん(中央)

軍服姿で写真に納まる祖父エモシ・ナティリさん(中央)

太平洋戦争中、エモシさんは約2000キロ離れたタラワ島(現キルバス)に出征した。赤道直下の激戦地。森の中でエモシさんは旧日本軍の兵士と出会った。リーチがその時の逸話を語る。

「お互い殺さずに『おまえ向こうに行け』って。(祖父は)戦争に行きたくない、人を殺したくなかったから」。この時、エモシさんが亡くなっていたら、リーチが生を受けることも、桜のジャージーを着ることもなかった。

妻の知美さんや、村の子供と遊ぶ長女のアミリア真依さんを横目にリーチが言う。「日本との縁がそこから始まったんじゃないか。不思議な出会いが多い」

今回の訪問には、親族との再会とは別の狙いもあった。半年前からリーチは報道陣に声を掛け、集落に招待している。「東京とのギャップや、僕の家族がどういうところで育ったのかを知ってもらいたかった」

29日に発表される日本代表には、過去最多の10人超の海外出身選手が入る見通し。フィジーと似た文化を持つトンガ、サモアから来た選手も多い。主将の頭の中には、多彩なルーツを持つ選手が一つのチームで戦うという事実を世の中に広めたい願いもあったのだろう。

両親も息子の願いを後押しするかのようだった。コリンさんが報道陣に語り掛ける。「日本がW杯で勝ったら、皆さんまた戻ってきてください」。イバさんも冗談交じりに再訪を促す。「私は来年の6月に60歳になる。パーティーをしてください」

村の人々が別れの曲「イサレイ」を歌う中、リーチは手を振り、立ち去った。母の故郷の人々の期待も背負い、主将は「不思議な縁」のある国のリーダーとしてW杯に臨む。

(谷口誠)

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