良質な靴下 職人技つなぐ 越智直正 タビオ会長
未来像

関西タイムライン
2019/8/28 7:01
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■タビオの前身となるダンソックスは1968年に、大阪で創業した。創業者の越智直正さん(80)は中学卒業後、奉公をするため大阪・鶴橋の靴下商店に入った。

11人兄弟の末っ子で実家の跡を継ぐ必要もなく、勉強もさほど得意ではなかった。兄の言うとおりに、中学卒業後に奉公に出ることになった。靴下卸に行くことを知ったのは1週間前で、てっきりたんす屋に行くものだと勘違いをしていた。

奉公先の靴下問屋では靴下の商売の基本を体にたたき込まれた。靴下が売れても売れなくても大将から怒られたが、もっと良いものをつくって見せるという闘争心が芽生えた。取引先の工場を回り糸のかけ方や、織り方を学び、月に1度の休みは高島屋、大丸、そごうなど、百貨店の靴下を見て回った。ショーケースの商品を出してもらい、見て、触って、かんで、良い靴下の弾力を確かめた。

■大阪の商人としての基礎である「始末、才覚、算用」も学んだ。ムダを省き、けじめをつけ、商売のヒントになるあらゆることを考えて先を読み、数字に基づいて物事を考えることをたたき込まれた。

68年に部下2人とダンソックスを立ち上げた。資本金は13万円。当時、新婚だったが、2畳と6畳の2間の自宅アパートに部下も連れ込んだ。取引先が拡大する中、課題となったのが在庫管理だ。

ある日、パン屋のおばちゃんからヒントを得た。電話で売れた個数を報告していて、これだと思った。この方法をまねしてわざわざ店に行かなくても管理できる仕組みを作った。その後テレビのクイズ番組で偶然見たコンピューターを導入し、工場と本社をつなぐネットワークシステムをつくった。人間必死で考えれば、ヒントはいろんなところに落ちていると気づいた。

中学卒業後、靴下問屋に奉公にでた(写真は1年目)

中学卒業後、靴下問屋に奉公にでた(写真は1年目)

■かつて繊維産業が盛んだった関西だが、その姿は今はない。ただ高度な技術力をもった職人は関西にいる。その技術を途切れさせない取り組みが欠かせない。

関西では海外製造への切り替えや職人の高齢化で廃業も進んでいる。ただ、数は減ってしまったものの、技術力の高い工場はある。タビオでは今残っている職人の技術を機械で再現できないかと必死で取り組んでいる。

例えば、薄手のビジネス靴下はつま先部分を職人が手かがりで縫い合わせている。履き心地のよい靴下に仕上げるために繊細な作業が必要なためだ。職人の数が減ってきている中、作業を機械に担わす方法を模索している。

■安物を作って売るのではなく、質のよいものを適正な価格で販売する関西の商売人の基本を思い出すべきだ。

日本人ほど高い品質のものを知っている国民はいない。かつてメード・イン・ジャパンは世界一といわれてきた。国内外の安い服などがどんどん入ってきているが、その中でも質のよいものを欲しがる目の肥えた日本人客はいるはずだ。

関西の繊維業界はそれができるだけの技術力があったはずだ。「利によって行えばうらみ多し」という孔子の言葉もある。短期的な利益だけにとらわれず、高い技術力をもって、品質のよいものを正当な値段で売るという姿勢を今こそ思い出すべきだ。

タビオは1足1500円以上するビジネス用靴下などを販売している。3足750円の靴下も世の中にはある。だが、本当に品質のよいものをつくろうと思ったら、安い値段でできるわけがないことは消費者にも分かるだろう。「少々品が悪くても辛抱しなはれ」というのは顧客に失礼だ。質のよいものをつくって適切な値段で売るという原点に立ち返るべきだ。

(聞き手は斎藤毬子)

おち・なおまさ 1939年愛媛県生まれ。中学卒業後、55年にキング靴下に入社。13年の奉公生活の後、68年にダンソックス創業。在庫・生産管理システムも構築。77年ダン設立、2006年にタビオに社名変更。08年から現職。
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