2019年9月16日(月)

「対馬丸」撃沈75年、沖縄・那覇で慰霊祭
疎開学童ら千人超犠牲

九州・沖縄
2019/8/22 11:37 (2019/8/22 13:13更新)
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太平洋戦争後期に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が鹿児島県沖で米潜水艦に撃沈され、子どもら1500人近くが犠牲になった事件から75年となる22日、那覇市の碑「小桜の塔」で慰霊祭が開かれた。近くの対馬丸記念館では、悲劇を広く知ってもらおうと、この日から特別展を開催し、遺品の一部を初公開した。

学童疎開船「対馬丸」が撃沈された事件から75年となり、慰霊祭で黙とうする参列者(22日午前、那覇市)=共同

学童疎開船「対馬丸」が撃沈された事件から75年となり、慰霊祭で黙とうする参列者(22日午前、那覇市)=共同

強い日差しの下、遺族や生存者ら約550人は、亡くなった人々の氏名を刻んだ碑の前で黙とう。対馬丸記念会の高良政勝理事長(79)は、一緒に乗船し命を落とした家族9人をはじめとする犠牲者に思いをはせ「これからも記念館を通し、争いや戦争のない世界を希求する」と誓った。

兄2人を失った沖縄県北谷町の玉城京子さん(71)は、小学生の孫娘らと共に参列し「両親は、安全と思い兄を乗船させた。孫たちがあんな目に遭わぬよう、平和が続いてほしい」と涙ぐんだ。

対馬丸記念館によると、1944年8月21日、那覇港から長崎に向け出港。翌22日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で米海軍の潜水艦ボーフィン号から魚雷攻撃を受け、約10分後に沈没した。国民学校の学童や教員、家族での疎開者ら1788人が乗船したとされる。判明している犠牲者数は1484人。

学童疎開船「対馬丸」=共同

学童疎開船「対馬丸」=共同

政府は戦後、船体の引き揚げは不可能と判断し、代替案として2004年に記念館が開館した。撃沈75年の特別展では、遺品の教科書や親元に届いた行方不明の証明書などを9月29日まで公開する。

大阪府大阪狭山市から訪れた高校3年の芝辻琴音さん(18)は「自分より年下の子たちの遺品を見て、苦しくなった。史実を伝えていかないといけない」と真剣な表情で語った。

22日午後には広島市でも慰霊式が開かれる。〔共同〕

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