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健常者も参加する競技に 車いすテニス ステファン・ウデ(下)

2019/8/24 5:30
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1996年8月9日。ステファン・ウデが獣医仲間とバイクでオーストリアをツーリング中、前の車を追い抜こうとすると、その車が左に寄ってきてしまい、ウデは対向車と衝突。15日間の意識不明ののち、左膝が曲がらず、左足首も動かないことに気づく。でも「足だけだからハッピー。あと数センチ左に出ていたら死んでいた。まだ人生を生きるのは楽しいと思えた」。

獣医を続けながら、30歳でゴルフを始める。左足を引きずり、最初に出た大会で13オーバー。その後練習を重ねてパープレーができるようになり、2001年から06年まで障害者ゴルフのフランス選手権で6連覇を果たす。国際大会も勝った。体への負担を減らすため、04年12月に左足を切断し、義足になる。

「車いすテニスが五輪の種目になれば、障害者も五輪のメダルをとるという夢が生まれる」と語る

「車いすテニスが五輪の種目になれば、障害者も五輪のメダルをとるという夢が生まれる」と語る

その手術の直前、スペインでのプロアマ戦で出会ったのがヨハン・クライフだ。サッカー界のスーパースターは障害者スポーツを支援していた。ウデが障害者ゴルフの世界ツアー創設の構想を語ると、クライフは賛同。他の障害者スポーツでも同じことができないかと一緒に視察に出かけた。

そこで初めて車いすテニスを見る。「ワオ、これが僕のスポーツだと思った。子どものころからテニスをしていたから、トライすべきだ、と」。日常で車いすを使う人限定と思い込んでいたが、義足でもOKと知る。でも「人に見下されるように感じるから、義足の人は車いすを使いたがらない」。だから、義足の選手の数が少ない。

その現状が心に火をつけた。ウデはゴルフを辞め、テニスにスイッチ。義足の自分が活躍すれば、車いすテニスは誰でもできるスポーツだと理解してもらえる。「障害者だけでなく、健常者も含めたすべての人のスポーツにしたい。いまは世界ランク1位でも障害者の中のベストであって、世界のベストではない。真のチャンピオンになりたい」

車いすテニスの国際組織は健常者と同じ国際テニス連盟(ITF)だが、四大大会をのぞき、ツアー大会は健常者と車いすは別々だ。ウデはフランスの連盟や、男子ツアーを主催する男子プロテニス協会(ATP)に、大会の中に車いす部門を設けるアイデアを働きかけ続けている。

「そうなれば車いすテニスが五輪の種目になるかもしれない。障害者も五輪のメダルをとるという夢が生まれる。それが世界を変えられると思っている」

車いすテニスに革命を起こした闘士は、より広い世界の変革も目指している。(敬称略)

(摂待卓)

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