浪速の名所「小さな万博」が起源(古今東西万博考)
1903年・大阪 新世界

関西タイムライン
2019/8/20 7:00
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インバウンド(訪日外国人)で賑(にぎ)わう大阪市浪速区の繁華街「新世界」。街のシンボル、通天閣を中心に昭和を感じさせる商店街が広がり串カツ店、居酒屋、射的場・ゲームセンターなどが軒を連ねる。通天閣の2019年度入場者数は前年度比4%増の120万人に達する見通しだ。

開業して間もない頃の「新世界」。通天閣はパリの凱旋門にエッフェル塔を乗せたようなデザインだった

開業して間もない頃の「新世界」。通天閣はパリの凱旋門にエッフェル塔を乗せたようなデザインだった

新世界の誕生には"万博"が大きく関わっている。「小さな万博」とも評される1903年の第5回内国勧業博覧会だ。少し前に開かれた英グラスゴー万博と同じ14カ国が参加し、観覧も数百万人にのぼった。閉会後は大阪財界が跡地を娯楽センターにする計画を立案。西側の土地が財界出資の会社に払い下げられ、12年に娯楽センターが開業する。この施設が「新世界」だ。

娯楽センターは万博の後継施設らしく、外国の良いとこ取りをした施設になった。北側にはパリの凱旋門の上にエッフェル塔の上半分をのせたような展望塔、通天閣を建設。南側にはニューヨークの遊園地を模したルナパークを整備し、米国生まれの幸運の神、ビリケン像を安置したホワイトタワーを建てた。通天閣とタワーはイタリア製ロープウエーで結んだ。絶叫マシンの先駆け的な遊具やスーパー銭湯のような温浴施設もあった。通天閣観光株式会社の西上雅章会長は「まさに世界を体感できる施設。大阪人のサービス精神が凝縮されていた」と話す。

だが、1943年に通天閣が火災に遭い、45年の大阪大空襲で新世界全体が被災する。戦後は繁華街となり、56年に二代目通天閣が開業するが、70年代以降は人気が低迷。最近ようやく活気を取り戻し、新しい飲食店や物販店が相次ぎ進出している。2025年の大阪・関西万博に向けてどんな進化を見せるのだろうか。

(浜部貴司)

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