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訪問看護のナイチンゲール 道は姉の看取りで始まった

マギーズ東京 共同代表理事 秋山正子さん(上)

マギーズ東京 共同代表理事 秋山正子さん

東京都江東区の豊洲は、東京都中央卸売市場や巨大ショッピングモールがそびえ、高層マンションの建設が今も続くベイエリアだ。やや殺風景なこの地の片隅に、木のぬくもりにあふれる平屋がひっそり建っている。マギーズ東京。がん患者とその家族たちが、専門家に相談したり仲間と語り合ったりできる場だ。スコットランドが発祥のマギーズを日本でも作りたいと奔走したのが、看護師でマギーズ東京の共同代表理事、秋山正子さん(69)。もともとは訪問看護の第一人者で、このほど、看護師にとって最高の栄誉である赤十字国際委員会のナイチンゲール記章を受章した。

(下)がん患者の家「マギーズ東京」 つぶやき続け得た同志 >>

――ナイチンゲール記章を受章しました。

「ナイチンゲール記章は、2年に1回、世界中の看護師の中から選ばれる賞で、いわゆる病院勤務や日本赤十字の関係者ではなく、訪問看護を専門にしてきた私のような看護師が選ばれるのは珍しいです。受賞が公表されて以来、訪問看護の仲間やマギーズ東京の関係者から次々と『自分のことのようにうれしい』という連絡が届きました」

「私は訪問看護が日本で制度化された頃に訪問看護の道に入り、起業もしました。さらにマギーズ東京を設立したので、パイオニアのように言われることもありますが、決して自分が旗振り役で引っ張ってきたとは感じていません。同じ志を持った仲間とともに進んできたと思っていますので、我がことのように喜んでくれている声を聞いて、頑張って来てよかったなあと思いました」

あまり多くを語らないリーダー

「私はジャンヌ・ダルクではないんです。『私について来なさい』と先導したとは思っていません。普段、私はあまり多くを語らないのです。それよりも、遠泳の時に側で小船の上から見守っている人いますよね? あんなイメージでしょうか。時に『大丈夫?』と声をかけ、時に小船に引き上げて手助けして」

「もともとリーダーを志向していたわけではないというのも、このようなリーダー像になった理由の一つでしょう。でももう一つの理由は、訪問看護やマギーズでの仕事は、決められた手順で行えばよいわけではないということです。だから、私と一緒に働く若い人にも自分で考え自分で行動できる人になってほしいと思って、あまり多くを語らないリーダーになったような気がします」

――関西で看護師としてスタートし、すぐに訪問看護の道には進まなかったのですね。

「今では訪問看護もすっかり根付きましたが、実は訪問看護が制度として認められたのは1992年に老人保健法が改正された時なのです。それまでは訪問看護には診療報酬がつかなくて、往診する医療の補助的役割とか、保健所が看護師を臨時雇用してサービスとして訪問指導をする程度でした」

姉のがんで訪問看護の大切さを痛感

「私は秋田県出身で73年、聖路加看護大を卒業して看護師になりました。最初は日本バプテスト病院で、産婦人科で看護師、助産師としてキャリアをスタートしました。その後、大阪大で看護を教える立場になりまして、学生の臨床実習の指導を4年ほどしていました。結婚、出産を経て京都で働いている時に、訪問看護のニーズを痛感する出来事が起きました。2歳上の姉ががんで余命わずかとなったことでした。89年から90年、ちょうど昭和から平成に移り変わるころのことです」

――訪問看護のおかげで、自宅で最期を迎えられたのですね。

「姉の自宅まで片道2時間かけて訪問してくれたのが、在宅医療の先駆者だった医師の佐藤智先生でした。姉は夫や子供がいる家でいつものように暮らしながら最期の日々を送ることができました」

「姉の姿を見て、訪問看護の可能性と大切さを痛感しました」

「姉の姿を見て、訪問看護の可能性と大切さを痛感しました。それで、大阪の淀川キリスト教病院で1年間、訪問看護を勉強しました。その後、ちょうど夫の転勤があり東京に引っ越したので、佐藤先生のもとで訪問看護の道に入ったのです。92年、訪問看護が制度としてスタートした年でした」

――起業しなければならなくなったのはなぜですか。

「2001年、佐藤先生の診療所の医療法人である春峰会が、理事長と院長が相次いで病に倒れて閉鎖せざるを得なくなったのです。一事業だった訪問看護も、当然業務を続けることができなくなってしまいました。しかし、目の前には60人ほどの患者さんとそのご家族がいて、私たちの訪問を心待ちにしている。患者さんを10人ずつ別々の病院に託すとか、自分たちの事業をそっくりそのまま買ってくれる病院がないかとか、道は探りました」

融資を断られ、夫が連帯保証人に

「当時、訪問看護は看護師6人のチームでした。同じ志で頑張って来たメンバーは全員、『退職金をもらってさようなら』とは思えなかった。目の前の患者さんたちに、今までと同じように看護を提供したいと考える人ばかりだったのです。そのためには起業するしかありませんでした。たまたま2000年に介護保険法が施行され、営利企業も訪問介護を事業にできるようになっていました。そこで思い切って同年、ケアーズ白十字訪問看護ステーションを起業しました」

マギーズはガン患者とその家族が、いつでも専門家に相談したり仲間と話したりできる場所だ

「あの頃を思い出すと、背水の陣という言葉しか浮かびません。春峰会の閉鎖の期日は決まっているけれど目の前に患者さんはいる。たまたま私は起業のリーダーになりましたが、それは目の前の仕事をみんなでなんとか分担した結果論でしかありません。とにかくお金がないから銀行に融資を頼みに行っても女性ばかりで断られ、夫に連帯保証人になってもらったり。最初は自転車操業でしたね」

「ケアーズ白十字訪問看護ステーションは当初、東京の市ヶ谷を拠点にスタートしました。その後、都内の東久留米市に閉所の危機にあった訪問看護ステーションがあると聞き、系列化しています。現在、拠点は2カ所で、看護師約50人で訪問看護事業を展開しています。訪問看護は後進の若い看護師たちに任せられるようになりました」

「そんな矢先に、新たな出会いが待っていました。それがマギーズです」

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秋山正子
1950年秋田市生まれ。73年聖路加看護大を卒業、京都で看護師・助産師として働き始める。92年東京の医療法人春峰会の白十字訪問看護ステーションで訪問看護を開始。2001年医療法人の廃業に伴いケアーズ白十字訪問看護ステーションを起業、代表取締役に。11年マギーズの理念を取り入れた「暮らしの保健室」を東京・新宿に開設、16年NPO法人マギーズ東京を設立。

(藤原仁美)

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