2019年9月16日(月)

戦時機密記録や郷土誌収集 昭和東南海地震で名大

2019/8/16 11:31
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 名古屋大研究チームが当時の記録を集約し、まとめた昭和東南海地震の報告書=共同

名古屋大研究チームが当時の記録を集約し、まとめた昭和東南海地震の報告書=共同

太平洋戦争末期に発生し、千人超の犠牲者を出しつつも軍部の情報統制で「隠された震災」といわれる昭和東南海地震。名古屋大研究チームが、当時の記録を集約した報告書をまとめた。戦後明らかにされた機密扱いの調査資料のほか、各地の郷土誌や慰霊碑などを収集した。

同地震は南海トラフ地震の一つとされており、今後懸念される巨大地震の対策への活用に期待が寄せられている。

1944年12月7日午後、紀伊半島東側を震源とするマグニチュード(M)7.9の地震が発生した。戦後40年近くたってから、故飯田汲事・名古屋大名誉教授らが自治体などに残っていた記録を集め、全体像をまとめた。2005年には内閣府の専門調査会が報告書を作成。今回はこれらを土台に、学徒動員された軍需工場で被害に遭った生徒の手記や、各地の慰霊碑の碑文も集めた。

「午後の作業を開始してすぐ、作業台や工作機械がガタガタ音を立てて揺れ始めた。慌てて外に飛び出し、振り返ったら工場が崩れていた」

当時12歳で動員された細山喬司さん(87)は証言する。愛知県半田市の中島飛行機山方工場で偵察機の部品を作っていた。建物の倒壊で、国民学校の同級生6人を含む154人が亡くなった。

名古屋市南区の三菱重工の工場でも57人が犠牲に。両工場ともれんが造りの紡績工場の転用で、23年の関東大震災で同型の工場が多く倒壊したにもかかわらず、抜本的な対策を取っていなかった。研究チームの武村雅之客員教授は「戦争遂行を優先し、耐震性が著しく低い建物を使い続けて招いた悲劇だ」と断じる。

地震直後の調査では、憲兵隊の監視や写真撮影が厳しく制限されたことなど、戦時故の苦労も報告に盛り込まれた。後に東大地震研究所教授となる故宮村摂三氏は、食料の配給切符を手に2週間かけて被災地全域を踏査。名古屋大と気象台の合同チームは空襲に遭いながら沿岸部を調査した。

これらのデータから地震の全体像の解析が現在も続いている。06年には広範囲の揺れのデータを再検討し、03年時点の研究と比較して、震源域が東側だった可能性があることが分かった。

武村客員教授は「戦争中でも地震は関係なく発生した。現代でも、日常の平和に安穏として備えを怠れば惨事を招くだろう」と指摘。南海トラフ巨大地震への対策に報告書を活用していく考えだ。〔共同〕

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