中川翔子 中学で孤立した私を守ってくれたiMac

漫画やアニメ、イラスト、ゲーム好き――。「オタク」で「アイドル」の先駆けとして注目され、愛され続ける「しょこたん」こと中川翔子さん。中学でいじめに遭い、学校で孤立していた中川さんを支えたのは、祖母が買ってくれたiMacだった。
時代はインターネット黎明(れいめい)期。学校という閉塞された環境で傷ついた彼女を、無限に続くインターネットの世界が寄り添った。「自分の好きなことについて、いくらでも話せる人が同じ世界にいる!」。確かな実感が視野を広げ、生き延びる力をもらえたと振り返る。
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13歳のとき、「デジタルで絵を描けるようになりたい!」と祖母に伝えたら、買ってもらえたのがiMacです。デザインのかわいさ、ストロベリー(赤)のカラーもお気に入りで宝物でした。

学校では絵を描いているだけで「キモい!」と言われる空気だったのに、iMacを通じて出合ったインターネットの世界では、好きなゲーム、宇宙、昔の特撮映画、ジャッキー・チェンなど、ピンポイントで興味が合う人と知り合えたんです。ブルース・リーのファンサイトに行き、チャットしながら夜が明けることもありました。
インターネットがきっかけで、14歳のとき、母と一緒に参加したブルース・リーのオフ会では、出演映画のポスターを囲んだ大人たちが腕を組んで、「このときの前髪がいい」と、彼の髪形についてああだ、こうだと楽しそうに語り合っていました。「好きなことにのめり込んでエンジョイしている人がたくさんいる」「私だけが変なわけじゃなかった……」と感動したのを覚えています。iMacのおかげで、「自分の世界は学校だけじゃない」と早くから気づけたのは今でも幸運だったと思います。
中学でいじめ。好きなことに駆け込む
私が進学した中学は私立の女子校です。すぐにいくつかグループができ、発言力の強い目立つ子たちがクラスの空気を支配しました。スクールカーストと呼ばれる階層分けやランク付けも、目に見えてできていきました。
当時はプリクラ(プリントシール)が全盛の時代。でも私はプリクラ帳を持っていませんでした。あわてて撮りに行き、おばあちゃんが和紙で作ってくれた小さいノートにプリクラを貼って持って行ったんです。
致命的なミスでした。「1人プリクラで、おばあちゃんのノート? キモい!」とボスグループの子にバカにされ、背中に冷たいものが走ったのを覚えています。恋愛やアイドルなど、自分の知らない話題を振られてもうまく立ち回ることが苦手だったこともあり、あっという間に「最下層」の位置に。
「キモい」とか「大っ嫌い」とか悪口や陰口を言われ、クラスでひとりぼっちになってしまいました。苦しすぎて吐いてしまうと『ゲロマシーン』とあざ笑われ、心はぼろぼろ。
5分の休み時間でさえ早く始業のベルが鳴ってほしくて、トイレに隠れたり、廊下のロッカーの教科書を入れ替えて忙しいフリをしたり。それがフリであることも、ひとりぼっちで恥ずかしいと思っていることも、きっと周囲にバレている。それがさらに自分をみじめな気持ちにさせました。
授業が終わると逃げ帰り、自分の部屋へ駆け込みました。絵を描いて、音楽を聴いて歌って、漫画を読んでゲームして、iMacでネットサーフィンして……。現実を守るために「好きなこと」で身を固めていたんです。
死にたいと思った夜もあったけれど、明け方まで好きなことに没頭するのは、学校でのつらいことを忘れられる唯一の時間でした。
長く学校に行かなくていい夏休みは、特にネット漬けの毎日。朝陽とともに外からラジオ体操の音が聞こえて、「午後から塾があるから寝なきゃ……」とあわててベッドに入るものの、夕方まで起きられず自己嫌悪に陥ることもしょっちゅう。ドロッとした当時の日々は、「死ぬ選択肢以外のことをして生き延びていた」との表現が近いかもしれません。iMacが1日、1日をつないでくれていたんです。

つらい中学時代が貴重な経験値に
タレント活動をするようになってからも、「無駄にした時間を取り戻したい!」と中学時代を上書きしたい貪欲な気持ちがありました。私が好きな漫画の世界では14歳、15歳の女の子がキラキラと青春を謳歌しているのに、私の青春は思い描いていたようなものではなかったから。
同時に、中学時代の「闇の自分」もまだいました。歌うこと、声優のお仕事をすることなどたくさんの夢がかなってうれしいし、もっとやりたいこともある。でも不安、自分になんてできるわけがない……。そんな恐怖がありました。
それを変えてくれたのはブログでした。ブログで「好き」を発信し続けるうちに、徐々に言葉の力で良いほうに考えが変わっていったんです。
「ポケットモンスター」(ポケモン)好きが高じて、テレビ番組「ポケモンの家あつまる?(ポケんち)」(テレビ東京)に出演させてもらっています。出演者のみなさん、ゲストに来てくださった方ととても仲良くしています。劇場版ポケットモンスターを一緒に映画館へ見に行き、今度は「リアル脱出ゲーム」に行こうと計画しているんです。まさに、中学時代に手に入れられなかった「青春」です。
ポケモンをはじめ自分の「好き」でたくさんの人とつながれるのは、あの苦しさから逃げるように、独りで没頭した時間があったからだと思います。アニメの2時間番組に出演してもいくらでもしゃべれるのは、あの頃の情報がたくさんの引き出しを作ってくれたから。ものすごく吸収していたんです。
もしも学校生活や放課後がキラキラと充実していたら、あそこまでの熱はなかった。未来の自分を助けてくれる経験値として、全て意味があったと思えるようになりました。30代になって、「壮大な『結果オーライ』ってある!」と思えるようになったのです。
今、苦しんでいる子たちにも、「学校にいる人間がみんな敵でも、ひとりぼっちでも、学校の外には必ず味方がいる。今は好きなことを吸収して蓄える『さなぎの時間』として、生き延びてください」と伝えたい。どうか死ぬことだけは選ばないで。
無責任なことは言いたくないから
過去を受け入れられたことで、「死ぬんじゃねーぞ!! いじめられている君はゼッタイ悪くない」(文芸春秋)を1冊の本としてまとめることができたと思います。

文章は、あの頃の自分にどうすれば伝えられるかをすごく考えました。大人は「卒業すれば大丈夫だよ、大したことないよ」と言いがちだけれど、明日も明後日も学校に行かなきゃいけない当時の私は、そんな言葉をかけられても「無責任なこと言わないでほしい」と絶望しかありませんでした。当時の感情をそのままおぼえているし、押しつけにならないかと言葉を選ぶのがすごく難しかった。
そんなときに思い浮かんだのが、幼なじみの「木村」のことでした。中3のクラスで、小学校で仲が良かった木村と同じクラスになれたんですよ。木村は、私がクラスメートから、「キモい」「何アイツ」と陰口をたたかれていても気にしません。楽しく私の隣に寄り添っていてくれました。
下校時に、私のげた箱がボコボコにへこまされていたことがあったんです。いじめを受けていることをまわりに知られたくないし、自分でも認めたくない。親や先生に知られたくないし言いたくない。つらくて心がいっぱいになるなかで、木村は確かに見えているはずのげた箱に何も触れずにいてくれました。いつもと変わらない、たわいない話をしてくれました。その存在にどれだけ救われたか。今でも一緒にオンラインゲームをしたり、ごはんに行ったりする大切な友だちです。
「隣(とな)る人」という言葉があるそうです。「そっと寄り添い続けてくれる人」といった意味。
私にとっての木村のような、この本が誰かにとっていい距離で寄り添えるような「隣れる存在」になればうれしく思います。


(文 平山ゆりの、写真 鈴木芳果)
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