きょう終戦の日 遺族会の解散相次ぐ、記憶の伝承岐路

2019/8/15 5:30
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戦争の悲惨さを長年にわたり語り継いできた遺族会や傷痍軍人会の解散が相次いでいる。会員の高齢化などで活動の継続が難しくなり、この1年間でいくつもの団体が姿を消した。15日は74回目の終戦の日。薄らぐ戦禍の記憶を次の世代にどう伝えていくのか。戦後続けられてきた歴史の伝承は岐路を迎えている。

最後の開催となった愛媛県富山丸遺族会の追悼式(6月29日、松山市)=愛媛県護国神社提供

最後の開催となった愛媛県富山丸遺族会の追悼式(6月29日、松山市)=愛媛県護国神社提供

「1番若い会員でも70代。解散はやむをえなかった」。1944年に鹿児島県徳之島沖で米軍に撃沈された輸送船「富山丸」の犠牲者遺族でつくる愛媛県富山丸遺族会の芳野勝三元会長(76)はやりきれない様子で話した。

同遺族会は2019年6月29日、犠牲者の命日に松山市で開いた追悼式を最後に解散した。

富山丸では乗船した約4600人のうち、約3700人が犠牲になったとされる。会員が地元の小学校などに出向き、悲惨な歴史を語り継ぐ活動に取り組んできたが、芳野さんらは「戦争を知っているからこそ語り継ぐことができる」と考え、若い世代の後継者を積極的に探さなかった。近年は追悼式の参列者も減り、活動を続けられなくなったという。

98年から活動を続けてきた都城空襲犠牲者遺族会(宮崎県都城市)は会員約20人の大半が80歳以上となり、18年8月に解散した。元会員らが新たに発足させた市民団体「都城空襲と戦争を語り継ぐ会」が毎年の追悼会開催や語り部活動などを引き継いでいる。

語り継ぐ会事務局の来住ケイ子さん(68)の夫(88)は空襲で親戚や同級生を失った。夫に誘われて約10年前に遺族会に入り、地元の小学校への講話などに同行してきたが、多くの児童が感想文に「(空襲を)初めて知った」と書くのを見て「時代が移り変わっても、戦争の記憶を伝え続けなければいけない」と意を強くした。

日本遺族会によると、67年に全国で約125万5千世帯あった遺族会の会員数は08年に約87万世帯まで減少した。その後も減り続けているとみられるが、正確な推移は把握できていない。

戦地で負傷した元軍人らでつくる傷痍軍人会も姿を消した。全国組織は13年に解散。地方組織で唯一活動していた長崎県傷痍軍人会も19年3月に活動を終えた。

活動の担い手の世代交代を模索する動きもある。日本遺族会は17年に戦争犠牲者の孫やひ孫世代を対象とした「青年部」を創設。慰霊だけでなく、戦争の記憶の継承も活動の柱に据えた。

43年に太平洋戦争の激戦地、アッツ島で祖父が犠牲になった札幌市の会社経営、西村浩一さん(48)は19年5月に「アッツ島戦没者慰霊の会」をつくった。約15年前に解散した道内の遺族会を引き継ぎ、市民に戦争関連の資料や体験者の証言を紹介する催しなどを計画している。遺族以外も参加を呼びかけ、戦争の歴史を後世に伝えることが目的という。

西村さんは戦後生まれだが、祖母が毎日仏壇の前で手を合わせる姿を見て戦争を身近に感じてきた。「戦争は家族を奪う大きな過ちだ。二度と起こさぬよう、その悲惨さを伝え続けたい」と力を込めた。

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