世界初 寄生虫が異なる生態系をつなぐことを証明
神戸大学 群集生態学 佐藤拓哉(4)

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宿主を操り、自らに都合のよい行動を取らせる寄生虫がいる。聞いただけで気持ち悪いが、そんな寄生虫であるハリガネムシと宿主の異常行動を、森と川の生態系の中に位置づけて研究し、次々と成果をあげている佐藤拓哉さんの研究フィールドに行ってみた!(文 川端裕人、写真 的野弘路)
京都大学の芦生研究林を、神戸大学の佐藤拓哉准教授と歩く。
カマドウマとハリガネムシを見て、その次に目指すのは、渓流魚である。
佐藤さんの専門である生態学的な興味として、陸域の生き物であるカマドウマが、寄生虫のハリガネムシに行動操作されて川に飛び込むことが、川の生き物にどのような影響を及ぼしているのか、というのが勘所なのだ。
そして川の生き物で、直接、カマドウマを食べていそうなのが渓流魚、というわけだ。
佐藤さんは、大きな蓄電池の入ったバックパックを背負って、研究林内の流れに足を踏み入れた。最終的には若狭湾にそそぐ由良川の支流。京都府だがここはもう「日本海側」なのである。
佐藤さんが握っている棒の先にはリング状の電極があって、これで魚を一時的にまひさせて動けなくする。いわゆる「電気ショッカー」だ。捕まえた魚は電流を止めるとすぐに再び無傷のまま泳ぎ出すので、魚体にとっても安全な捕獲方法として調査などで使われる。もっとも、研究用に許可を得ているからできることで、漁法としては一般には禁止されている。
佐藤さんは川の中を上流に向けて歩き、ここぞという場所で手際よく電気ショックを与えていった。魚が浮いてくると、その中からサケ科の魚、つまり、釣りの対象としても人気の高いヤマメやイワナを選んでバケツの中に入れた。大部分はヤマメで、いずれも青い斑文がくっきり浮かび上がっていた。優しげな小顔のたおやかな雰囲気はまさに山女(ヤマメ)である。1匹だけいたイワナは、おなかが鮮やかなオレンジ色で精悍(せいかん)な顔つきをしていた。両方とも婚姻色で、ひれに傷などが一切ない美しい魚体だった。


しかし、こんな細い川に、立派な魚がいるものだ。研究林で保護されているというのもあるだろうが、なんということのない岩の下から大きなヤマメが飛びだしてくるのは、見た目にも美しい光景だった。
佐藤さんの研究では、これらの魚の胃内容物が問題になる。しかし、腹を裂く必要はない。
「サケ科の特徴で、口から胃まで一直線につながっているので、こうやって水を入れてやれば、食べたものを簡単に吐き出します」
そう言いながら佐藤さんは、ヤマメの口を開き、川の水を入れた洗浄ボトルから大胆に注水した。口の中から黒っぽいものが一気にあふれ出してきた。胃内容物だ。

「出ましたね。カマドウマを食べてます。これ、足が残ってますね」
おおっ、本当だ。あまりにあっけなく出たものだから、拍子抜けだ。
ヤマメは、この時期、カマドウマを食べている。動かぬ証拠が出てきた。
これにて、寄生虫ハリガネムシを中心にした生態系フルコースを堪能させていただいたことになる。
実は、佐藤さんが渓流に入り、魚を採集しはじめてから、気づいたことがある。
佐藤さんが、めちゃくちゃ楽しそうなのである。
カマドウマを扱う時にはあからさまに、ハリガネムシについてはほんの少し、「なんか変なものを扱っているよなあ、オレ」という雰囲気が漏れ出していたのだが、渓流魚については、もう好きで好きで仕方がない、という様子だ。
そもそも、佐藤さんは、幼少時に渓流でみたサケ科の魚の魅力に導かれて、この道に足を踏み入れた経歴の持ち主なのだ。

「僕は生まれたのが大阪で岸和田とかだったんで、川なんか汚かったんですが、両親にたまに連れて行ってもらう山奥の川で、ヤマメかアマゴを見たんですよ。記憶ははっきりしないんですが、ものすごいきれいやって感動して。やっぱりきれいなもの見ると憧れるみたいなことがあって。そのあとずっとサッカーしてて忘れてたんですが、大学は水産学部で4回生になると、卒論をどうしようかと思った時に渓流魚の研究したいなと思ったんです。渓流魚やったらのめり込んでできるかもと思って」
実際に渓流魚の世界にのめり込み、紀伊半島の山間部に生息している在来イワナの保全研究で博士号を取得した。川の最上流に数百匹という数でしか生息していないもので、それが今後どのような運命をたどるのか、守るためにはどうしたらよさそうかといった研究だ。
ハリガネムシやカマドウマに目が行ったのも、渓流魚の研究からだった。
「──渓流魚の保全の研究をしていると、陸の虫をどれぐらい食べてるんやろうとか気になって、サケ科の魚を捕まえては食べたもの吐き出させて調べてたんです。すると、本州で調べていた川のほとんどで、秋になると今日みたいにカマドウマを吐き出しまくったんですよ。最初は気持ち悪くて、そのときのフィールドノートには『またカマドウマ』とか、『カマド』とか、『溶けてるカマドきもい』とか(笑)、いろいろ書いていたんですけれども、そのうち、はて、これはおかいしいぞと思って。カマドウマって羽がないですし、偶然川に落ちるっていう理由がどうしても思いつかなくて」

「──それでさらに見ていくと、カマドウマと一緒にひもみたいなやつが出てくるんですよ。ハリガネムシやったんですけれども、これなんやろと思うようになって、ちょうどその時にナショナル ジオグラフィックの映像に出会ったんですよね。コオロギのお尻からひもみたいのが出ているやつです。ハリガネムシに操作されて飛びこんだコオロギが水域の捕食者、魚とかカエルとかに食べられる。ハリガネムシは一緒に食べられると死んじゃうけれど、うまくいけばクネクネと動いて出て行くみたいで、ああ、これか、と思ったわけです」
佐藤さんの現在の研究の背景にはナショジオあり、だったとは。
なお、その時のナショジオをきっかけに知った論文は、前にも言及したフランスの研究チームのものだそうだ。
生態学の研究としては、生き物と生き物の関係を知りたい。それも、できれば定量的に。そこで、佐藤さんは思い切ったフィールドでの操作実験を敢行した。
「フィールドで観察してる間にアイデアはため込んでて、あと、これやれればきっと何か結果が出るんやと思っていました。それを、京大の和歌山研究林でやらしてもらえました。川のまわりをビニールで覆ってカマドウマなんかが飛び込めないようにした区画と、自然なままの区画を2カ月間比較したんです」
さらりと言われると、なるほどその手があったかと思うのだが、実行するのはかなり大変な予感がする。なにしろ自然な川が相手だ。聞けば、苦労話には事欠かない。例えば、ビニールで覆った部分でも、そこから魚が逃げてしまったら実験にならないので、上流と下流にネットをはる。しかし、ほうっておくと流れてくるものですぐに詰まってしまう。それを取り除く作業を2カ月間、ずっと続ける、など。
実験の結果は、労力に見合うものだった。
「──陸の虫が川に入ってくると、川の魚は陸の虫を食べる。なので、川の魚は川の中の虫をあまり食べなくなって、川の虫はたくさんいられる。すると、川の虫が食べていた川の藻類がたくさん食べられて減るとか、川の虫が分解する葉っぱの分解スピードが速くなるっていうふうに。陸の虫が入ってきて、それが川の魚を通して川の生態系全体を変える。基本的には、そういうことが起きると確認できました」
「──さらに、僕らはカマドウマが入る量と、カマドウマ以外の虫が入る量を分けて操作をして実験していまして。ちょうどカマドウマが入る時期に限ってはカマドウマ以外の虫が飛び込んでもあまり影響がなくて、カマドウマが量的にドカーンと入ることが大事で、それで初めて川の中の生態系が変わるとわかってきたんです。それも、これまで陸の虫が単純に落ちてくると考えられていたんですが、ハリガネムシみたいな変わったやつが陸の虫を連れてくることで、初めて量的にも大事なものとして森と川がつながって川の生態系が変わると、世界ではじめて示すことができました」
それが、つまり、前にも述べた「年間の6割」の話だ。ムッチリとした質感の通り、カマドウマは高栄養食らしいのである。林床を夜な夜な歩き回って、有機物ならなんでも食べて、ぱんぱんに太ったカマドウマは1匹だけでも大きなエネルギー源だろう。ましてや、それがドカンとたくさん水に飛び込んでくるならなおさらだ。
「カマドウマが水に飛び込むのは1年のうちで3カ月くらいだけなんですが、その時期に渓流魚が得る総エネルギー量の9割以上くらいがカマドウマです。実はそれが1年のうちで一番たくさんエネルギーを得られる時期で、たとえば、冬に比べると100倍にもなります。ですので年間ベースに引き延ばしたとしても大きく効いてきて、6割ぐらいがカマドウマで説明できるんです」
カマドウマだけで、年間6割のエネルギーをゲット! とは本当にすさまじい話だ。カマドウマのあの姿を見ただけでは、それだけの役割を果たしているなど想像もできない。

(2014年11月 ナショナルジオグラフィック日本版サイトから転載)
1979年、大阪府生まれ。神戸大学理学部生物学科および大学院理学研究科生物学専攻生物多様性講座准教授。博士(学術)。在来サケ科魚類の保全生態学および寄生者が紡ぐ森林-河川生態系の相互作用が主な研究テーマ。2002年、近畿大学農学部水産学科卒業。2007年、三重大学大学院生物資源学研究科博士後期課程修了。以後、三重大学大学院生物資源学研究科非常勤研究職員、奈良女子大学共生科学研究センター、京都大学フィールド科学教育センター日本学術振興会特別研究員(SPD)、京都大学白眉センター特定助教、ブリティッシュコロンビア大学森林学客員教授を経て、2013年6月より現職。日本生態学会「宮地賞」をはじめ、「四手井綱英記念賞」、「笹川科学研究奨励賞」、「信州フィールド科学賞」などを受賞している。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、『天空の約束』(集英社文庫)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた近著『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、世界の動物園のお手本と評されるニューヨーク、ブロンクス動物園の展示部門をけん引する日本人デザイナー、本田公夫との共著『動物園から未来を変える』(亜紀書房)。
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