「傾く」精神で大阪PR 永尾俊一白ハト食品工業社長
未来像

関西タイムライン
コラム(地域)
2019/8/14 7:01
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■学生時代に大阪・道頓堀でたこ焼き屋を始めた白ハト食品工業(大阪府守口市)の社長、永尾俊一さん(55)。インバウンド(訪日外国人)でにぎわう道頓堀には歌舞伎のサービス精神が根底にあると説く。

人形浄瑠璃文楽の発祥の地、道頓堀はエンターテインメントの聖地だ。根底には歌舞伎の考え方がある。その歌舞伎の語源となった「傾(かぶ)く」、つまり風変わりなアイデアで人をあっと驚かせるサービス精神がこの街にはあふれている。

大学生だった1985年、道頓堀を支えてきた劇場が廃れ、映画館に取って代わられつつあった。自分がこの街を盛り上げようと、「たこ家道頓堀くくる」の前身となるたこ焼き屋を始めた。コンセプトはおしゃれな創作たこ焼きレストランだ。単に作ったものを売るだけでなく、いかやチーズなど変わり種入りのたこ焼きを客自身に焼いてもらう。道頓堀にたこ焼き屋が2軒しかなかった当時、とても斬新な取り組みだった。

訪日外国人が増え「道頓堀って、ドラッグストアとたこ焼き屋ばっかりやんけ」と言われることがある。この声には反論したい。新しい考え方や客を受け入れる懐の深さも道頓堀の良さだからだ。逆に変化に適応できない店は道頓堀では生き残れない。まもなく35周年を迎える「くくる」は古参の部類だ。京都に行くと創業100年の老舗が「最近の店どすなあ」と言われるのとは対照的だ。

■2025年に開催される国際博覧会(大阪・関西万博)は大阪の良さを世界に広めるチャンスだ。

様々な仕掛けで来る者を楽しませる「傾く」精神は変わらない。10年に上海で開催された万博では、日本産業館に出店した。巨大なたこの立体看板を出し、連日行列ができるほど人気を集めた。いまだに中国人のお客様には「上海で食べたよ」と言われることが多い。たこ焼きを世界に広めるきっかけになったと自負している。

いまや大阪名物のたこ焼きは訪日客の力で日本名物になった。25年の大阪・関西万博でも、この街のエネルギッシュさを世界に向けて存分にアピールできるはずだ。

関西大学在学中に現在の「たこ家道頓堀くくる」の前身となる店を立ち上げた

関西大学在学中に現在の「たこ家道頓堀くくる」の前身となる店を立ち上げた

万博に向けて訪日客を受け入れる土壌をより整備するため、関西企業は外国人材の受け入れを急ぐ必要がある。私自身も新卒採用に関わる中で、外国人には日本人にないハングリー精神を持つ人が多いと実感する。異なる考え方や素性を持つ外国人材は、競争をあまり経験してこなかった平成生まれの日本人社員への刺激にもなる。最近では離職者を減らすため、新卒社員を腫れ物に触るかのように扱う傾向がある。これでは世界で通用しない。強い精神力を持った人材が必要だ。

■「とかく女の好むもの。芝居、浄瑠璃、いもたこなんきん」。スイートポテト店「らぽっぽ」も運営する白ハトは江戸時代に大阪を中心に活躍した浮世草子作家、井原西鶴の言葉を地で行く。

当社はもともと1947年に祖父が立ち上げた町の小さなアイスクリーム屋だった。冬に売れるものはないかと試行錯誤する中で出会ったのがスイートポテトだったという。ちょうど前回の大阪万博が開催された70年に発売し、私は小学生だった。

商売の軸足を「いも・たこ・なんきん」に定めるきっかけは小学生の頃の体験だ。ある日、学校から帰るとクラスの女子が自宅にやって来た。「永尾君のとこ、おいもやってるんやろ? 余ってるのくれへん?」と言う。焦げるなどして販売できなかったものをあげると、日を追うごとにたくさんの女子がいも目当てに来るようになった。「とかく女の好むもの」というのは本当だ。こだわれば必ず売れる。

(聞き手は渡辺夏奈)

ながお・としかず 1963年大阪府生まれ。86年関大法卒。在学中に白ハト入社、たこ焼き店「KU/KU/RU道頓堀店」(現たこ家道頓堀くくる)開業。2010年より現職。福島県楢葉町でのさつまいも生産など被災地支援にも注力する。
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