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小阪久真太氏 「白洲将軍」の旗艦店

2019/8/24 4:30
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「飛将軍白洲文平君が市場を馳駆するや、必ずその注文の一半を分かつ店に小阪商店がある。ただに白洲のみならず大手筋の注文もぼつぼつ入るので、場での商い振りはかなり目立つ。したがって店も相当ににぎわっている」(大阪今日新聞社編「市場の人」)

大阪今日新聞社編「市場の人」より

大阪今日新聞社編「市場の人」より

大正時代の大阪三品市場では「田附将軍」田附政次郎や「本願寺」岩田惣三郎親子が主役を演じていたことはよく知られているが、白洲文平も一方の雄として市場をにぎわした。大きな玉を立会場にぶつけるが、そうした場合、場で采配を振るうのが小阪だった。2人の間はぴったり息が合っていた。ちなみに文平の息子は吉田茂のブレーンとして活躍、GHQ(連合国軍総司令部)をして「従順ならざる唯一の日本人」とくやしがらせた白洲次郎その人である。

白洲商店の番傘には「二十世紀の商人白洲文平」と大書されていた。そんな豪放な商人の旗艦店を務めるのだから小阪もただモノではない。当時の三品市場では田附を筆頭とする江州系、岩田を総帥とする尾州系、あるいは紀州系など出身地による系列ができていたが、小阪はそうした派閥の外に立っていた。しいて言えば備前系の一匹狼である。自己思惑は得意ではなかったと思われる。白洲初め大手筋の注文を受けることに努めた。

「いつの間にどうして資金を得たものかは知らぬが、とにかく相当の資金を擁し、知己のあるのを幸いこの村(三品市場)に腰を据えるようになったものらしい。相当に腕も立ち頭も働くが、格別えげつないことをしたとも聞かぬ」(同)

小阪は自ら仕手戦を仕掛けるといったタイプではない。周りの者が気付かないうちに相当な資産をこしらえていた、とはカネ作りの名人と言っていいだろう。小阪の経歴をたどると、綿一色である。日本の綿糸布業の勃興期に当たり、日本の基幹産業にかかわっていくことが身を立てる上で必須の条件と考えたのではないか。

大正8年黄金景気の反動で綿業界を筆頭にパニックが襲来したときのこと、小阪が若いころ世話になった戸田栄商店はそのあおりをまともに食らい、主人は命まで落としてしまう。その時小阪は「跡整理という働き映えのしない役回りを引き受け、自分のでもない債務のためにペコペコ頭を下げたり、泣き落としをやったりして片を付けた」という。旧主人から受けた恩を忘れない義理堅さがあった。

一時は「白洲将軍」と称された白洲文平だったが、昭和初年の金融恐慌に巻き込まれ破綻、小阪も巻き添えを食う。以来小阪の名前も市場から次第に遠のいていく。=敬称略

信条
・努力主義の成功者
・何事にも努力して倦まない
・自己の運命を切り開くのは自己の力だけ

(こさか くまた 生没年不詳)
岡山県出身、紡績業を志し、笠岡紡績大阪支店(のちに福島紡績に統合)の接客係となる。のち半田綿行に転じ綿花の営業に従事、綿花の見本をかばんに入れて各紡績会社を駆けずり回る。その後戸田栄商店に入り綿糸の販売に従事、大正11年独立、大阪三品取引所の取引員、小阪久真太商店を開業、大手の旗艦店として活躍、立会場をにぎわす。

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