今日も走ろう(鏑木毅)

フォローする

8年前の自分との再会 笑顔の娘の存在が救い

2019/8/15 5:30
保存
共有
印刷
その他

50歳でUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)にチャレンジする最終調整としてフランスのアルプス山岳地帯で合宿を実施した。この地での合宿は2011年、42歳直前のUTMB挑戦で行って以来、8年ぶりとなる。

あの時の心境は今でも鮮明な記憶が頭に焼き付いている。40歳で安定した公務員の地位を投げうって挑んだUTMBで3位となり、「来年こそはもっと上位を」と思ったものの翌年は悪天候のため大会自体が途中で中止となった。そして迎えた11年は、周囲から「今度こそは世界一を」との大きな期待が寄せられ、重圧が両肩にずしりとのしかかっていた。

だが実際にはその2年前に3位となったUTMBで私は左脚のアキレスけんをひどく痛めていた。必死で練習だけは行ってきたがついに無理がたたり、この直前期の合宿では痛みがこれまでにないほど大きなものになっていた。とはいえ脚がそのような状態だということは周囲にはひた隠しにしていた。

激痛のせいで右脚だけで走っているような感覚となり、体調は全盛期の半分にも至らず、前々回のような走りは到底不可能で完走さえ難しいと思える状況だった。脚の痛み、プレッシャーによるストレスも重なり、毎日うつ状態で泣きそうになりながら山の中にこもってトレーニングをしていた。

今回もUTMBへの最終調整としてこの地を訪れたが、気持ちは全く違った。トレーニングの休息日には妻と娘と連れ立ち、近くの山にハイキングに出かけるなどゆとりがある。8年前は気持ちがめいり、トレーニング以外は現実逃避のためにベットにもぐり込み、小説を読んで時間をやり過ごしていたのに比べれば雲泥の差といえよう。

重圧と孤独で向き合った8年前と違い、今の自分には娘がそばにいてくれる

重圧と孤独で向き合った8年前と違い、今の自分には娘がそばにいてくれる

このような心境に変わることができたのはどうしてだろうか。もちろん故障を抱えていないことが大きな要因だけれど、一つには娘の存在が大きい。心がめいりそうなときに娘の屈託のない笑顔にどれほど救われてきただろう。また歳をとり、心の余裕も出てきたのかもしれない。とにかく8年前よりも満ち足りた気持ちで滞在を終えた。

ただ今となってみると、あの地獄のような日々が懐かしいと感じる自分もいる。これもまたなぜだろう。この年のUTMBは全盛期の走りはできなくとも7位で表彰台に立つことができた。優勝への期待は裏切る結果となったが、私にとっては奇跡のような出来事で、のちの大きな財産となったのも事実。あの合宿で苦しい現実と対峙し、逃げることなく必死で乗り越えたから今の自分があるのだとも思う。

実は8年ぶりにこの地を訪れたのも、あの苦悩に満ちた過去の自分に再会し、そして自分がいかに変わったのかを確かめたいと思ったからにほかならない。改めて感じたのは、人生のいかなるときも逃げずに努力することがどれほど大切かということ。どんなにつらい経験も、きっといつの日にか良い思い出になると信じ、研さんを積んでいかなければと心から思える自分に成長を感じた。

(プロトレイルランナー)

今日も走ろう(鏑木毅)をMyニュースでまとめ読み
フォローする

保存
共有
印刷
その他

ランニングのコラム

コラム「美走・快走・楽走」

コラム「今日も走ろう」

関連キーワード

電子版トップスポーツトップ

今日も走ろう(鏑木毅) 一覧

フォローする
50歳で125位のUTMBのゴールは妻と娘とともに=藤巻 翔撮影

 50歳で再びUTMB(170キロメートル、累積標高差1万メートル)を目指す「NEVERプロジェクト」が終わった。結果は125位、タイムは30時間30分。10年前の全盛期のようには走れなかったものの、 …続き (9/19)

日の丸を持ってのゴールを思い浮かべ奮い立った(2008年UTMBを4位でゴール)

 東京オリンピック、パラリンピックまであと1年を切り、国際大会への注目度も高まるばかりだ。世界中のアスリートがしのぎを削るスポーツの祭典が本当に待ち遠しい。ここでスポーツとナショナリズムについて考えて …続き (9/12)

つらくても走り抜く意思は強固だ(2016年、チリ・パタゴニアのレース最終盤の補給所で)

 8月15日、今年も終戦の日が訪れた。この日が来ると亡くなった祖父を思い出す。祖父は30年前に79歳で亡くなった。陽気で話し好き。いつも昔話を楽しそうに語っていた。日本史、なかでも特に昭和史に興味があ …続き (9/5)

ハイライト・スポーツ

[PR]