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村上春樹 「永遠の青春」の秘密はコットン・スーツ

服飾評論家 出石尚三

母校である早稲田大学に所蔵資料などを寄贈することを決めて記者会見した村上春樹さん(2018年11月4日、東京都新宿区)=共同
19世紀の英国からフランスへと広がったダンディズムとは、表面的なおしゃれとは異なる、洗練された身だしなみや教養、生活様式へのこだわりを表します。服飾評論家、出石尚三氏が、著名人の奥深いダンディズムについて考察します。



作家の村上春樹がデビュー40周年を記念して6月、自らが出演するラジオ番組「村上RADIO」の初の公開収録に臨みました。番組は8月25日に放送されるそうです。久しぶりに新聞に登場した写真を見るとコットンのジャケット、インナーは丸首のシャツ、そしてカラーデニムです。

■村上春樹は新時代の塊

世界的な人気作家である村上春樹は文学界の「男前」。本を出せば必ず売れる。それも純文学が100万部、200万部と売れるのですから尋常ではありません。この「春樹現象」は日本だけのことではなくアメリカでも多くの愛読者「ハルキスト」を抱えているのです。

「村上RADIO」の公開収録を終えて撮影に応じる村上春樹さん(中央)=6月26日、東京都千代田区

わたしも村上春樹の新刊が出ると買います。読みます。でも、よくは分からない。

では、なぜ分からない村上春樹の新刊を買うのか。それは「時代」だからなのだと思います。村上春樹の小説には「今」が詰まっているのだ、と。

裏を返せば、私には時代に乗り遅れてはならないとの意識が働いています。村上春樹の本さえ持っていれば、時代に取り残される心配はないのだ、と思うのです。

こう考えると、村上春樹は新時代の塊だということにもなります。たしかに村上春樹の文体は「永遠の青春」に満ちていることにお気づきでしょう。

なるほど、ジャズが好きで、ランニングが好きで、早寝早起き。写真で見る限り自身が今なお「永遠の青春」を保っています。では村上春樹の「永遠の青春」の秘密とは何なのでしょうか。

■新人賞授賞式に着ていったVANのコットン・スーツ

「ベージュのチノ・パンツに白の半袖のポロシャツ、ダークブルーのコットンのジャケットというぼくの格好は堅苦しく場違いに見えた。」

村上春樹著「スプートニクの恋人」の一節です。これはほんの一例。よく登場する得意のフレーズ、「チノ・パンツ」だとか「コットン・スーツ」は、実は彼にとって固有の意味を含む「春樹語」でもあるのです。なぜでしょうか。

村上春樹は1970年代、衝撃的にコットン・スーツに出合っている。つまり「コットン・スーツ」は、村上春樹の青春そのものなのです。その時の「コットン・スーツ」を着ている限り、村上春樹は「青春」そのものでいられるわけです。

村上春樹は1979年に「風の歌を聴け」で「群像新人文学賞」を受賞しました。30歳のときです。この「群像新人文学賞」の授賞式に、村上春樹は何を着て行ったのでしょうか。大変興味深いところです。彼がまとったのは、オリーブ色のコットン・スーツでした。しかもそれは70年代に一世を風靡したVAN(ヴァンヂャケット)のものでした。

「『群像』新人賞をとったとき、授賞式に着て行ったオリーブ色のコットン・スーツ。スーツというものを持っていなかったので、青山のVANのショップに行ってバーゲンで買った。それに普段の白いスニーカーをはいて行った。」

村上春樹著「村上ラヂオ」には、そのように出ています。70年代の「青山」はVAN愛好家にとって特別な場所でありました。愛好家にとってのサンクチュアリーであったのです。青山三丁目。渋谷から赤坂に向かって歩いて行き、左に折れる。店が見えてくると、わくわくしたものです。

■37年ぶり会見で着ていたのもコットン・ジャケット

村上春樹は授賞式にスーツで行こうと思いついた。これはまあ、ふつうですね。でも、なぜそれがVANの、オリーブ色の、コットン・スーツになるのでしょうか。

VANのコットン・スーツ。それは70年代のエキスだったのです。70代の、青春の象徴。

少なくとも村上春樹は、VANのコットン・スーツを通して「青春」の匂いを嗅いでいるのです。「青春」は一人ひとり異なっているのかも知れません。ですが、村上春樹に学ぶべきは、ある強い「想い」を込めてそれを着ると、必ず自分のスーツになるということなのです。

コットンのジャケットにインナーはTシャツ。カジュアルで若々しい印象だ(2018年11月4日、東京都新宿区)=共同

2018年、彼は母校である早稲田大学に自らの原稿や蔵書、所蔵レコードなどの資料を寄贈すると発表しました。記者会見を開いたのは、37年ぶりといいます。

その会見の際の写真を見て私は驚きました。身につけているのはオリーブ色に似たコットンジャケットではありませんか。もちろん、79年のものとは違いますが。

「僕は今のところまだおなかも出ていないし、体重も大学時代と殆(ほとん)どかわりないし、髪もさいわいふさふさしている。元気が取り柄で、病気ひとつしたことがない。」

村上春樹著「村上朝日堂はいほー!」の中に、そのように書いています。体形を保っていつまでも、「青春」である「チノ・パンツ」や「コットン・スーツ」を着る。彼は意識して青春の象徴を着ているようにすら感じます。

出石尚三
服飾評論家。1944年高松市生まれ。19歳の時に業界紙編集長と出会ったことをきっかけに服飾評論家の元で働き、ファッション記事を書き始める。23歳で独立。著書に「完本ブルー・ジーンズ」(新潮社)「ロレックスの秘密」(講談社)「男はなぜネクタイを結ぶのか」(新潮社)「フィリップ・マーロウのダンディズム」(集英社)などがある。

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