「革命の輸出」中東激震 (イランと米国~不信の構図4)

2019/8/13 10:00
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革命を経て1979年4月に宣言されたイラン・イスラム共和国の建国は、近隣の諸国に衝撃を与えた。革命を指導したイスラム教シーア派の高位聖職者ホメイニ師が「革命の輸出」を唱えたからだ。周辺のアラブ諸国の大半はイスラム教スンニ派が実権を握る。シーア派が主導する体制転換は受け入れられない。

80年9月、フセイン大統領のイラクは隣国イランへの空爆を始めた。88年8月の停戦まで続くイラン・イラク戦争の始まりだった。フセイン氏はイラン革命の波及を恐れると同時に、革命の余波で動揺している同国から領土の一部を奪う野心を持っていたといわれる。

イランと対立する米国はフセイン政権に兵器や資金を与えて支援した。

イランはイラクと戦う一方、シリアのハーフィズ・アサド大統領(現大統領の父)に近づき、同国が影響力を持つレバノンでイラン型のイスラム共和国建設を目指すシーア派武装組織「ヒズボラ」の設立を実現した。ヒズボラはレバノン内戦中の83年、ベイルートにあった米海兵隊の宿舎に車で自爆攻撃を仕掛け、約240人を殺害した。米軍はレバノンからの撤収を余儀なくされた。

ヒズボラを指導するのはイラン最高指導者に直属する軍事組織の革命防衛隊だ。ヒズボラは政党としてレバノン内政に直接関わる一方、同国南部の軍事拠点からイスラエルを攻撃する。パレスチナのイスラム教徒から土地を奪ったイスラエルと戦うことで、イスラム世界におけるイランの影響力を高める狙いだ。

ホメイニ師の薫陶を受けたイランのシーア派法学者はなお、革命の輸出を諦めていないようだ。

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