親米政権への転覆が禍根 (イランと米国~不信の構図2)

イラン緊迫
2019/8/13 10:03
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イランの政権幹部は米国を「大悪魔」と呼ぶ。1979年の革命を主導した初代最高指導者ホメイニ師が命名した。米国への強い敵意の源は70年近く前のクーデターだ。

石油国有化を打ち出したイランのモサデク首相(中央)を国民は支持した(1951年9月、テヘラン)=AP

石油国有化を打ち出したイランのモサデク首相(中央)を国民は支持した(1951年9月、テヘラン)=AP

1951年のイランで、当時のモサデク首相は石油産業を独占していた英アングロ・イラニアン石油(現BP)の資産接収に乗り出した。国民は支持したが、国際市場を支配していた米英の石油大手は報復としてイラン産原油を締め出した。

英海軍はイラン近海に艦船を派遣し、原油輸出阻止を狙った。タンカーへの攻撃も示唆した。だが、53年には日本の出光興産がタンカー「日章丸」を派遣しイラン産原油の購入に成功した。いまのイランと日本の友好につながった。

米中央情報局(CIA)と英情報機関は53年、イラン国軍の一部と共にクーデターを起こし、モサデク氏を政界から追放した。同氏と対立していたパーレビ国王が盛り返し、「白色革命」と呼ばれる経済・社会改革を進めた。人口の大半を占めるイスラム教徒らの反発を受けたが、CIAが指導したとされる秘密警察サバクを使い、反対派を弾圧した。

パーレビ国王が強権で支配したイランは中東で随一の親米国家に変貌を遂げた。77年にイランを訪れた当時のカーター米大統領はイランを「世界でも困難が多い地域における安定の島」と呼び、国王をたたえた。だが、国内では王政への不満が高まり、79年1月、国王が国外に脱出した。

イランと米国は80年に外交関係を断絶した。革命後のイランで実権を握ったイスラム教シーア派法学者は、対米強硬姿勢で国内を引き締める。

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