日本館 巨大で斬新、転用かなわず(古今東西万博考)
1970年・大阪

関西タイムライン
コラム(地域)
2019/8/13 7:00
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大阪モノレール公園東口駅から近い日本万国博覧会記念公園の東口から入園すると、左側に広い芝生の広場が現れる。約3万7000平方メートルの敷地には1970年の大阪万博のパビリオンでは最大の「日本館」があった。日本政府が出展し、伝統文化から未来技術までを紹介した。閉幕後も残す数少ない建物だったが76年に取り壊された。その理由は何だったのか。

1970年大阪万博の日本館=大阪府提供

1970年大阪万博の日本館=大阪府提供

撤去された跡地はコンサートやイベント会場に活用された(吹田市)

撤去された跡地はコンサートやイベント会場に活用された(吹田市)

5つの円形の建物で構成された。万博のシンボルマークである5つの桜の花びらを模した。1つの建物の直径は58メートル、高さ27メートル4階建て。総延べ床面積は2万2791平方メートルもあった。その巨大さや斬新なデザインが逆に日本館の寿命を縮めることになる。

72年、万博公園を管理する日本万国博覧会記念協会(当時)は建物の転用が可能かどうかを調査した。候補の一つ、民族学の博物館は、万博公園内の別の敷地で「国立民族学博物館」事業が動き出していたことから断念。スポーツ施設も候補になったが、施設使用料では賄いきれない「お荷物施設」になる可能性が大きいことが分かった。建物の全体は大きいものの、5つに分かれていて1つでは狭い。新たに空調設備を設置し、電気代などがかさむからだ。75年に日本館の撤去を決定。リニアモーターカーなど展示物の一部は残された。

広場になった日本館跡はコンサートやイベント会場に活用された。「残っていれば、日本文化を伝える施設として価値が出たのでは」(万博に詳しい大阪府職員の平田清さん)との声もある。2025年万博はレガシーをどう残すのかも課題で、日本館の教訓はその一助となるかもしれない。

(清水英徳)

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