「これだけは繰り返さない」原爆詩つづった山口さん

2019/8/9 12:05
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詩に込めた思いを語る山口カズ子さん(7月29日、長崎市)

詩に込めた思いを語る山口カズ子さん(7月29日、長崎市)

長崎市で9日開かれた被爆74周年の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、田上富久市長が読み上げた長崎平和宣言に、被爆者がつづった詩が初めて引用された。二度と戦争を繰り返してはならないと訴える作者の山口カズ子さん(91)は「戦争の愚かしさを考える機会になれば」と願っている。

「目を閉じて聴いてください」。平和宣言の冒頭、田上市長は呼びかけた。

 息ある者は肉親をさがしもとめて 死がいを見つけ そして焼いた

 人間を焼く煙が立ちのぼり 罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた

参加者はまぶたを閉じ、読み上げられる詩にじっと耳を傾けていた。

詩の引用が提案されたのは、5月の市の平和宣言起草委員会。「被爆の惨状や被爆者の思いを伝えられる」として採用が決まった。長崎市によると、平和宣言に被爆者が書いた詩が引用されたのは初めてだ。

「平和宣言」を読み上げる田上長崎市長(9日午前、長崎市の平和公園)

「平和宣言」を読み上げる田上長崎市長(9日午前、長崎市の平和公園)

山口さんは爆心地近くの長崎市松山町に生まれ、当時17歳で女子挺身(ていしん)隊として三菱の兵器製作所に勤務していた。母のエイさん(当時44)と妹の園子さん(同14)、テルエさん(同11)と4人暮らし。父を亡くし、母子家庭だった。

山口さんは爆心地から約1.1キロ離れた勤務先で被爆した。気を失い、顔や手にやけどを負ったものの一命は取り留めた。だが、母と2人の妹は犠牲になった。「語るまい、思い出したくない」。山口さんは戦争が終わっても、つらい体験を他人に話したり、書いたりすることはなかった。

結婚して3人の子供にも恵まれ、ようやく過去を振り返る余裕も出てきた時期だったという。被爆から34年後のある日、ふと空を見上げると、晴れ渡ったきれいな空が広がっていた。「きょうは平和でいいなあ」。しみじみ幸せだと思った。

 あの日から三十四年 青い空を見上げてただひたすら感謝する 戦争というものがない今日この日だから

詩を書くのは初めてだったが、率直な気持ちを1行記すと、その後は自分でも不思議なくらい、すらすらと言葉が出てきた。

 幾千の人の手足がふきとび 腸わたが流れ出て 人の体にうじ虫がわいた

詩には山口さんが目の当たりにした被爆直後の惨状が生々しい。「亡くなった母や妹、そして原爆の火で焼かれていった多くの人たちが私の言葉を通して語りかけ、書かせてくださった」。山口さんは今でもそう思えてならないという。詩を聴いた人にとって「原爆の悲惨さ、戦争の愚かさを改めて考えていただける機会になったら望外の幸せです」と話す。

 人は忘れやすく弱いものだから あやまちをくり返す

 だけど…… このことだけは忘れてはならない このことだけはくり返してはならない どんなことがあっても……

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