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ディープ、種牡馬でも成功した初の「国産スター」

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2019/8/10 5:30
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2005年の3歳三冠を含めて現役時代にG1を7勝し、種牡馬(しゅぼば)としても中央のG1勝ち馬37頭(49勝)を輩出したディープインパクトが7月30日、17歳でこの世を去った。今年3月から首の不調のため交配を中断。けい養先の社台スタリオンステーション(北海道安平町)は7月28日、米国から獣医師を招いて手術を行ったが、翌29日に起立不能となり、頸椎(けいつい)骨折を確認。回復の見込みがないため、30日に安楽死の措置を取った。

圧倒的な身体能力を持つディープの末脚の強さに多くのファンはしびれた=共同

圧倒的な身体能力を持つディープの末脚の強さに多くのファンはしびれた=共同

改めて、「ディープインパクトとは?」という設問を立ててみると、「種牡馬としても成功した初の国産スターホース」がふさわしいと思える。20世紀の競馬は、シンザン、ハイセイコー、シンボリルドルフ、オグリキャップと言った大衆性を持つスターを出してきたが、どれも種牡馬として成功したとは言い難い。ディープインパクトは、現役時代に「スター」の意味を書き換え、種牡馬入り後は、まるでお約束のように活躍馬を出した。

「見て楽しむ」21世紀型スター

上で4頭の名をあげたが、うちディープと同じく、3歳三冠を達成したのはシンザン(1964年)とシンボリルドルフ(84年)。実は、「負けないが派手さに欠ける」のが両馬の共通点だった。シンザンは生涯、3着以下がなく、シンボリルドルフは国内では本調子を欠いていた3歳時のジャパンカップ3着の1度だけ。だが、手堅い横綱相撲で勝つタイプで、さほど着差もつけない。シンボリルドルフの場合、1歳上のミスターシービーも三冠を達成していて、大衆的な人気では同馬に劣った。ミスターシービーは後方から鮮やかに追い込む形が人気を集めた。

大衆性で言えば、ハイセイコーとオグリキャップが圧倒的だったが、今日で言うG1のタイトルで見れば、ハイセイコーは皐月賞と4歳時の宝塚記念のみ。オグリキャップは3、5歳時の有馬記念2勝が光る(他にG1を2勝)が、3歳クラシックは登録漏れで出走もできなかった。しかも、両馬は地方競馬出身。「非エリートの出世物語」という意味も帯びていた。ハイセイコーは高度成長期、オグリキャップはバブル期のスターで、社会が競走馬に身分上昇的なストーリーを仮託していたと理解すべきだろう。加えて、両馬は負けも多い。ハイセイコーは中央で9回、オグリキャップは8回負けた。惨敗もあったが、負けて逆に人気が高まった面もある。好況期で、負けを許容する雰囲気があったのかもしれない。

「初代アイドルホース」として人気を博したハイセイコー(JRA提供)

「初代アイドルホース」として人気を博したハイセイコー(JRA提供)

ディープインパクトは、20世紀型のスターとは全く異質な存在だった。父は種牡馬として飛ぶ鳥を落とす勢いだったサンデーサイレンス(SS)。せり市場で同馬を落札した金子真人氏も高額馬購入の常連。ハイセイコーやオグリキャップとは逆に、最初から高いところにいた。小型に育ったのが幸いして脚部不安もなく、デビューから引退まで、危うい気性を抱えたまま、抜き身の才能を振り回すだけで勝ち続けた。ストーリー性とは無縁に等しく、人気の源泉は圧倒的なアスリート能力だった。毎回、後方に待機し「あの位置から届くのか」と、見る側に一抹の不安を与えておいて、エンジンがかかれば前の馬をごぼう抜きし、瞬く間に引き離す。勝敗自体やそこに至る曲折よりは、シンプルで派手な勝ち方が支持された。見る側が人生を仮託する対象から、単純に見て楽しむ「セレブ」へと、スター像は変容し、競馬は見るスポーツとして新たな段階に入った。

20世紀型スターには輸入種牡馬の壁

20世紀のスター代表として挙げた4頭は、種牡馬としては成功したとは言えない。年代順に見ると、シンザンはましな方だった。晩年にミナガワマンナ(81年菊花賞優勝)、ミホシンザン(85年皐月賞、菊花賞、87年天皇賞・春優勝)を出した。ミホシンザンは21歳の時の産駒である。当時は輸入種牡馬全盛時代で、内国産馬としては健闘したと言える。所有者の谷川牧場が血脈を残すために、種付け料を低く設定した成果でもあったが、3代目までは続かなかった。ハイセイコーは79年の日本ダービー馬カツラノハイセイコを出し、シンボリルドルフは91年から93年にかけてG1を4勝したトウカイテイオーを出したが、次なるG1級は出なかった。オグリキャップはG1どころか、中央の重賞勝ち馬もゼロ。産駒第1号のオグリワンが94年にG3で2着に入っただけだ。

安定感を誇ったシンボリルドルフも種牡馬としては成功しなかった(JRA提供)

安定感を誇ったシンボリルドルフも種牡馬としては成功しなかった(JRA提供)

もともと日本では内国産種牡馬に対する評価が低かった。一方で、資金力や人脈も乏しく、輸入できる種牡馬の質にも限界はあったのだが、それでも「舶来信仰」の壁は厚く、国内の活躍馬が繁殖馬として活躍する生産還流の流れをつくり切れずにいた。81年のジャパンカップ創設後、内国産馬の強化が叫ばれると、日本中央競馬会(JRA)も自ら「シンザンを超えろ」というスローガンを打ち出した。国際化の入り口でシンザンが召喚されたのは、種牡馬としても一定の評価があったからだ。

シンボリルドルフとオグリキャップは、ジャパンマネーに負けた側面もある。80年代後半は円高が進み、好調な競馬の業績と相まって、欧米から良質の種牡馬が次々に導入されたからだ。シンボリルドルフは87年、オグリキャップは91年に種牡馬として供用が始まったが、トニービン、ブライアンズタイム、SSといった後の生産界の主役級も89~91年にかけて始動した。輸入種牡馬3頭の中でも、SSは、日本の競走馬生産自体を「SS以前とSS以後」に区分してしまうほどの存在で、国産のスターたちも、牧場に帰ってからの競争ではSSに駆逐された格好だ。

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