2019年8月20日(火)

高齢化 悲観せず商機に 安道光二ワタキューセイモア会長
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関西
2019/8/7 7:01
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■医療向けリネンの国内最大手、ワタキューセイモア。来年にも、非上場ながらグループ売上高は6000億円を達成する見込みだ。その立役者の一人は会長を務める安道光二さん(77)。約60年前にほごにした「約束」が原点だ。

父は戦死し、母が一人で兄と私を育ててくれた。島根県の片田舎では中学を卒業すると大半が就職だ。貧苦にあえいだ家のこと、就職せざるを得なかった。求人は神戸屋、鐘淵紡績、住友金属工業などもあったが、教室の後方に一番最初に張り出されていたのがワタキューセイモアの前身、綿久製綿だった。

綿久製綿に集団就職が決まり、華やかな京都を想像していたのもつかの間、列車はどんどん田舎に向かう。工場からは煙のようなものが出て、宿舎も造りたての小屋。食堂で出されたのが炊きたての白米で喜んだが、数日して麦が混ざった「黒い飯」になった。

「こんなところ辞めてやる」。同じ宿舎の仲間は正月に里帰りする際、会社を辞めることに決めていた。私もそのつもりで実家に帰ったら、親戚のおばさんがなぜか怒りだす。「安道家の恥だ」とかいうものだから、とりあえず3年といわれ、渋々会社に戻った。他の仲間はみんな辞めていた。いま思えば、あの時にこの会社に戻っていなければ、今の私はないと思う。

■同社は関西らしい繊維ビジネスを発展させ、綿の「製造」からリネンのリース供給まで事業を拡大していく。長らく経営危機に直面していた経験が社の基本方針につながっている。

今でさえ、医療機関向けのリネンや給食で売上高は大きいが、ここまでたどり着くのは並大抵ではなかった。

1959年2月14日の朝、私は綿の配達で乗った車の燃料補給でガソリンスタンドに寄ったところ、「現金がないなら給油しない」といわれた。経理部長に現金をもらいにいくと、金庫には千円札が1枚しかない。それが綿久製綿の全財産だった。若干17歳の私にですら、銀行管理下にあり、自転車操業だというのはわかった。大変な時代だった。

そんな中でも綿久製綿が生き残れたのは病院から信頼を勝ち得たからだ。創業家の村田家はよく働くし、決して偉ぶらない。本社はプレハブ、機械は中古で、他社に比べて劣っているのに受注をとれたのは、その謙虚さがあったからだ。今でも「感謝と謙虚」が基本方針になっている。

福島・会津若松への社員旅行。中央で旗を持つのが初代社長の村田清次さん。その左が安道さん

福島・会津若松への社員旅行。中央で旗を持つのが初代社長の村田清次さん。その左が安道さん

■同社は医療業界を「黒子」として支えてきた。三大都市圏でも関西の高齢化率は高いといわれるなか、高齢社会をいかに乗り切っていくのか。

私たちは医療業界では黒子のような存在だ。いかに医師に医療行為に専念してもらうか、そのために我が社は存在している。

医療・福祉業界は人材がすべてだ。人手不足が顕著になっているが、アジアなどの外国人を採用し、国内で雇用する仕組みをより整備する必要があるのではないか。

ワタキューセイモアの場合、ベトナムの国立病院と連携し、現地でリネンを提供する計画を進めている。現地でもニーズがあるのに加え、そこで学んだベトナムの社員が日本に来て働くことができる仕組みも整えるつもりだ。まさに一石二鳥で、こういう工夫が必要だろう。

少子高齢社会を悲観してばかりはいられない。関西人らしく、一生懸命に勉強して、この変化を商売にするくらいの臨機応変な姿勢が求められている。関西にはIoT(モノのインターネット)や人工知能(AI)を使った技術が大いにある。大学や企業と一緒に新たな技術を開発して、現場で導入しながら、関西、ひいては日本で成功したモデルをアジアなど世界に展開していく必要がある。

(聞き手は赤間建哉)

 あんどう・みつじ 1941年島根県大田市生まれ。立命館大二部経済学部卒。57年綿久製綿(現ワタキューセイモア)入社、営業畑が長い。97年に社長。2018年に会長に就く。12年から経団連幹事。17年に旭日小綬章。

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