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60年代の実験映画 山際永三監督の2作を東大で上映

安保闘争に始まり、ベトナム反戦、そして70年安保へ。1960年代の日本は政治運動の波が繰り返し寄せ、混沌としていた。文化もまた運動の一翼を担う。7月に東京大学で開かれたワークショップ「1960年代の映像運動と山際永三」(東大文学部西洋史学研究室主催)は当時の映画界がテレビの普及に危機感を覚えつつ、それをバネに実験的な表現に挑戦していたさまを浮き彫りにした。

山際永三監督は刹那的な快楽にひたる若者を描いた「狂熱の果て」(61年)で注目され、後に「帰ってきたウルトラマン」「日本沈没」などテレビでも活躍した。山際氏本人も出席し、短編「罠(わな)」(67年)、「炎 1960~1970」(68年)の2本を上映した。

「炎」は政治運動で傷つき命を落とした人々の写真が画面いっぱいに映り、炎に包まれる。この演出について、山際氏は「死者の鎮魂の意味を込めた」と振り返った。「罠」はチェコスロバキアからの留学生を主人公に据え、彼女と日本の都市、土俗的な衣装をまとった登場人物が入れ代わり立ち代わり登場する。「イメージをごちゃごちゃに混ぜる編集のアイデアは、それこそ当時のチェコ映画『夜のダイヤモンド』にあった」と明かした。

60年代は「実験」や「前衛」を共通項に、様々なジャンルの芸術家が交流を結んだ。「炎」には美術家・赤瀬川原平の「大日本零円札」が大写しで登場する。「画面に緊張感が出せた。同時代の美術家の表現には目を配り、展覧会にも足を運んでいた」(山際氏)という。「罠」は草月流家元の勅使河原宏が始めた「草月実験映画祭」に出品し、第1回の奨励賞を受賞している。

60年代の日本映画は大島渚らに代表される「日本ヌーベルバーグ」の時代。ロシア国立研究大学高等経済学院のフィオードロワ・アナスタシア准教授は「テレビの影響で産業としての映画は衰退しつつあったものの、戦争中のプロパガンダ映画製作に参加していない若い世代の監督がドキュメンタリーや前衛的な手法に挑戦し、世代交代が進んだ」と指摘した。

(郷原信之)

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