愛知の芸術祭展示中止で波紋 表現の自由侵害と抗議も

2019/8/5 18:08
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「あいちトリエンナーレ2019」のチケット売り場に掲示された、企画「表現の不自由展・その後」の中止を知らせる案内(4日午後、名古屋市の愛知芸術文化センター)=共同

「あいちトリエンナーレ2019」のチケット売り場に掲示された、企画「表現の不自由展・その後」の中止を知らせる案内(4日午後、名古屋市の愛知芸術文化センター)=共同

愛知県で1日から開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を象徴した「平和の少女像」などの展示が3日を最後に中止されたことの波紋が広がっている。

■知事と市長が応酬

少女像は国内の美術館やイベントで近年、撤去や公開中止となった作品を集めた企画展「表現の不自由展・その後」の一つとして出品された。しかし、トリエンナーレの実行委員会が「テロや脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」として企画展の中止を発表した。

実行委会長の愛知県の大村秀章知事は5日の記者会見で、展示中止について「行政だから(安全の確保に)おのずと限界がある」と説明した。一方で「国民の心を踏みにじる」として少女像の展示中止を求めた名古屋市の河村たかし市長については「表現の自由を保障した憲法21条に違反する疑いが極めて濃厚ではないか」と批判した。

これに対し、実行委会長代行の河村市長は同日の記者会見で「どういうプロセスで(作品などが)選ばれて、中止になったのか市民に公開しないといけない」と指摘した上で「憲法21条は何でもやってよいものではない」と反論した。

展示中止をめぐっては、日本美術会(冨田憲二代表)や日本ペンクラブ(吉岡忍会長)などが「政治的圧力」「表現の自由への重大な侵害」などとする抗議声明を相次いで発表している。

今回の問題について危機管理と表現の自由に詳しい専門家に聞いた。

■「想定甘く、中止やむを得ない」 福田充・日本大教授(危機管理学)

芸術祭の運営側に届いたファクスやメールには「ガソリン携行缶を持って行く」などと脅迫や犯罪を予告するような内容があった。京都アニメーションの放火殺人事件を連想させるものもあり、命を守るため展示中止はやむを得ない側面がある。

政治的なメッセージが強い作品を個展などで展示するのと、今回のように自治体が関わる催しで展示するのとでは意味合いが異なる。反対意見の人からすれば後者は「公権力が一方の政治的立場に肩入れしている」との印象を抱き、より強い反発を招く恐れがある。

そうした事態も考慮して市民への十分な説明や理解を図ってから展示すべきだが、愛知県などの想定は甘かったと言わざるを得ない。

今回の問題は日本社会が抱える不寛容さを象徴しているとも言える。SNSなどでターゲットを探して見つけたら複数で攻撃し、また次の相手を探す。「バッシング社会」になりつつある。この事案を、社会のあり方を議論するきっかけにしたい。

■「中止は非常に残念、表現の自由が後退」 毛利嘉孝・東京芸術大教授(社会学)

今回の中止は非常に残念で、日本社会での表現の自由は後退したと言える。今後も公的な資金が投入される展覧会に対し、「ガソリンをまく」など過激な予告をすれば中止に追い込めると考える類似犯が続きかねない。

日韓関係が悪化するなか、主催者らもある程度の騒動は想定していたはずだが、これほどひどいとは思わなかったのだろう。反対者からの嫌がらせが悪質化しており、主催側に安全対策の全ての責任を押しつけるのは酷だ。本来は警察や行政が安全確保に協力すべきだが、表現の自由への理解が不十分なため現実的には難しいだろう。

名古屋市の河村たかし市長という公的な立場にある政治家が中止を言い出すのは職権乱用で憲法違反の疑いがある。展示物の内容を批判するよりもまず、危険な予告をした犯人を捜し罰しなければならない。暴力を黙認することこそ、民主主義への脅威だ。

そもそも公的な資金が入っている芸術祭でも、国や行政の意見を表明するために存在するというわけではない。主催側はアーティストが自由に表現する場を提供するというのが原則だ。今回の芸術祭でも「見たい」と思っていた多くの市民が「見る権利」を奪われた。一連の中止問題は社会全体でもっと議論すべきだ。

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