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五輪入賞ランナー 指導者でパラリンピック「出場」
陸上短距離 大森盛一(3)

Tokyo2020
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2019/8/7 5:30
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大森盛一(右)は高田千明のコーチであり「コーラ-」。二人三脚で走り幅跳びに挑んでいる(2019年7月、東京都町田市)

大森盛一(右)は高田千明のコーチであり「コーラ-」。二人三脚で走り幅跳びに挑んでいる(2019年7月、東京都町田市)

真っ暗闇を全速力で走り、跳び、体を前へ投げ出す――。全盲のアスリートはこの走り幅跳びの恐怖を、助走の方向などを正確に伝える「コーラー」との信頼で勇気に変える。陸上界に指導者として戻ってきた元五輪ランナー、大森盛一(47)はパラ陸上のトップ選手、高田千明のコーチであり、コーラーも務める。今回は大森が未知の世界だったパラ陸上に関わり、周囲の力を借りながらさらなる高みに挑む姿をつづる。前回は(「元五輪ランナー、サニブラウンの『初めての指導者』に」

◇   ◇   ◇

「はい! いい?」

大森盛一は大きな声で、助走を始めようとする高田千明(34=ほけんの窓口)に向かって掛け声で準備を促す。

「行きます!」

高田もやはり大きな声で大森にそう答えて手を上げ、2人の走り幅跳びが始まる。

「視覚障害T11」と定められる全盲クラスで幅跳びに挑む高田と、助走や踏み切り位置を正確に伝える「コーラー」として潜在能力を最大限に引き出す大森にとって、声はただの励ましや確認ではなく、固く結んだ「命綱」だ。100メートルでは、伴走者の右手と、視覚障害者の左手を長さ20センチほどのロープで結び合い感覚を共有できる。

■声と手拍子で踏み切り位置を伝える

しかし走り幅跳びでは、コーラーが声で指示する方向、タイミングで踏み切らなくては、砂場に着地できず大事故を招く危険がある。ロープのように感覚を確認し合えないなか、どんな「綱」を心で握り合うか、徹底して声でトレーニングを重ねなければならない。

全盲の高田にとって、コーラ-である大森の声と手拍子が「命綱」だ

全盲の高田にとって、コーラ-である大森の声と手拍子が「命綱」だ

「行きます!」と、高田から返事があると、大森は「イチ、ニ、サン、シ、ゴ……ジュウ」と、はっきりした手拍子を送り、高田は2回目の5、すなわち15歩目をコーラーが発する瞬間に思い切り踏み切る。以前はもう少し前で踏み切るようカウントしたが、スピードを生かそうとカウントを2拍ほど後ろに置き現在のコールが完成した。

視覚があってもファウルする繊細な競技で、アイマスクをした全盲の選手がファウルをせずに踏み切り、しかも4メートルを超えるジャンプで砂場に着地する。競技力のレベルの高さに「誰より驚いていたのは、オリンピックに出場したはずの自分だった」と、元五輪選手は苦笑する。2008年4月、創設したばかりの「アスリートフォレスト トラッククラブ」(A・F・T・C)に「どうしても強くなりたい」と高田が飛び込んで来た時、むしろ不思議に思ったという。

「パラスポーツへの知識も、その魅力も全く分かっていませんでしたから、どうしてこんなに純粋に競技に打ち込めるんだろう。どこからこの向上心が湧いてくるんだ、と、高田の強い気持ちに興味を抱きましたね。本気でやるなら、と彼女に言いましたが、本気とは自分こそ試されたんだと思います。100メートルでロンドン(12年ロンドン・パラリンピック)に行けず、高田はこれで終わりたくない、と泣いて訴えました。そこで、まだキャリアを伸ばせるなら、スピードを生かした幅跳びはどうだろうかと考えたのです」

大森の周りに日本のトップジャンパーがそろっていた環境にも助けられた。日大の1つ先輩には、現在も日本記録(8メートル25)保持者の森長正樹(47)がおり、日大が大森、高田に世田谷区の日大グラウンドを貸すために連携を取った。ミズノ時代の後輩でシドニー五輪代表、渡辺大輔(44)にもアドバイスをもらえる。彼らの助けによって、高田が競技種目を変えたのと同じに、大森もまた伴走者からコーラーへと転向した。この時、視覚や感覚で伝えられない関係において、言葉がどれほど重要かを痛感する。同時に、400メートルトラック1周をもがき、苦しんでゴールするかのように、引退から8年間、様々な職業でトラックを1周してきたキャリアは、決して遠回りなどではなかったのだと手応えも抱いた。

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