京都・高瀬川の意外な水源 豪商屋敷跡、飲食店の庭に
とことん調査隊

関西タイムライン
コラム(地域)
2019/7/30 7:01
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京都を代表する歓楽街の木屋町通。南北方向の通りに沿って流れるのが高瀬川だ。近くの店で、気になる話を聞いた。「川の水は『がんこ』から来ているんですよ」。がんこといえば、大阪に本社を置く和食チェーンだ。どんな歴史があるのかを探った。

御池通にある地下鉄の京都市役所前駅前近くから木屋町通に入った。柳が水面近くまで垂れ下がり、涼しげな雰囲気だ。北に少し歩くと、日銀京都支店などが立ち並ぶ閑静な一帯に足を踏み入れる。二条通の南側に、どっしりとした日本家屋があった。

看板には「がんこ 高瀬川二条苑」の文字。門をくぐり、広々とした邸宅を抜けると、清流の流れる日本庭園がある。伊藤宏幸支配人は庭の一角を指さした。「あれが高瀬川の水源です。鴨川から水を引き入れています」

運営するのは、がんこフードサービス(大阪市)。創業は1963年で、大阪・十三のすし店から始まった。創業者の小嶋淳司会長を訪ねると「水源があるのは、京都の豪商で高瀬川を開削した角倉了以(すみのくらりょうい)の別邸の跡だからだ」と教えてくれた。

一般的ながんこの店は、ふらりと入りやすいビル内。近くにある「三条本店」もそうだ。その点、高瀬川二条苑の店は異色ともいえる。がんこフードサービスによると、邸宅などを改装した「お屋敷」店舗の一つ。所有者が維持管理に困っていることを人づてに聞き、同社が借り手に名乗りをあげたという。

会長の話に出てきた角倉了以を調べてみた。戦国時代から江戸時代の初期に活躍した京都の豪商で、「京の三長者」の一人とされる。大陸との朱印船貿易で獲得した財力を生かし、京都の物流改善に取り組んだ。その代表が人工運河の高瀬川だ。

高瀬川は京都市の中心部と淀川につながる伏見をつなぐ。1614年ごろに完成した。全長約11キロメートルで、総工費は7万5000両。米価をもとに現在の価値に換算すると、75億円程度ともいわれる。

それまで大坂や四国、九州などから物資を運ぶのは苦労していたようだ。伏見にほど近い下鳥羽まで船を使うことができた。そこから陸路で運送するしかなかった。土木工事に必要な木材などは陸揚げ後の輸送が困難だった。

高瀬川ができ、物流の手間と時間を大幅に減らすことができた。角倉氏の別邸は船で荷運びをする事業者に対して、船の監視や船賃の受け取りなどをするための屋敷といわれる。船賃の半分が角倉家の利益となった。

政治の中心が江戸幕府に移った直後の京都にとって、高瀬川開通による経済効果がどれほど大きかったかは、京都の地名からもうかがい知れる。木屋町通を南に下っていくと、東西を貫く三条通の南に、幕末、坂本龍馬をかくまったことで知られる江戸時代創業の材木商「酢屋」が現在も残る。

水運のいい高瀬川周辺には材木や薪、炭などの取扱商が軒を連ね、「材木町」「米屋町」「塩屋町」「紙屋町」などの今も残る町名はその名残だ。大正時代には森鴎外の「高瀬舟」の舞台ともなり、全国に名が知られた。

ちなみに、がんこの「お屋敷」の第1号は1990年。大阪市平野区内にあった豪農の屋敷を改装したものだ。小嶋会長は「今でこそ周辺はマンションなどが立つが、当時は田んぼと町工場くらいしかない。『とても集客できない』と社員全員に反対された」と振り返る。

お屋敷は95年開業の高瀬川二条苑が2店目で、現在は関東・関西の9店に増えた。個人で維持管理が難しい建物を活用する社会貢献が当初の目的だった。歴史ある建物内で「がんこ」が味わえる意外性が人気という。

(山本紗世)

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