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「新体操教室開きたい」 企画書片手にジャスコ入社

国際体操連盟会長・渡辺守成さん(3)

国際体操連盟(FIG)の会長で、日本人唯一の国際オリンピック委員会(IOC)委員でもある渡辺守成さん(60)の半生をたどる連載。3回目は、大学卒業後のサラリーマン生活だ。

◇   ◇   ◇

 日本であまり知られていなかった新体操をメジャーにするという目標を持って、1984年にジャスコ(現イオン)に入社した。

ブルガリア留学から戻って大学を卒業する前、企業のCI(コーポレート・アイデンティティー)として新体操教室を展開する企画書を作り、小売業界に売り込みました。日本では主にメーカーがスポーツを支援していましたが、人が集まる小売業とコラボすれば、新体操の人気を高められると考えたのです。

第1回の世界新体操クラブ選手権に出場したウクライナ選手たちと(左から3人目が本人)

山崎浩子さんが1984年ロサンゼルス五輪などで注目されたこともあり、各社の反応は上々。「大きな体育館を建てて、海外から優秀なコーチを呼ぼう。年間5億円、10億円なら広告費として安いものだ」と誘ってくれる企業もありました。

ところがジャスコは「うちに入社して一社員として取り組みなさい。広告費は景気が悪くなれば出せないが、事業として成功していれば誰も文句を言わない」と言います。私の将来のことも考えてくれていると感じて、ジャスコに決めました。

新入社員としてスポーツ事業部に配属され、さっそく新体操教室をジャスコ・マリンピア店(千葉市)に開きました。最初の入会者はわずか3人。上司から毎日のように叱られましたが、入会を勧めるチラシを近隣のマンションに毎朝ポスティングし続けたら、1年後には会員数が100人を超えました。

ジャスコのほかの店でも教室を開くことになり、事業として軌道に乗り始めました。今では全国34カ所、約7000人の生徒がイオンの店にある教室に通っています。

 新体操は日本でも徐々に存在感を増し、94年からは国際大会の「世界新体操クラブ選手権」を毎年東京で開くようになった。

ジャスコだけで新体操に取り組んでも限界があります。当時は新体操をやっている大学もクラブも少なく、みんなの力を結集するために競技団体の「全日本新体操クラブ連盟」(現・日本新体操連盟)を92年に設立しました。加盟クラブ104からの船出でしたが、今では580を超えて増え続けています。

世界新体操クラブ選手権はもともと、旧ユーゴスラビアのボスニア紛争のニュースを見て、窮地にある子供たちを支援するため企画したものです。旧ユーゴスラビアは新体操が盛んで、ブルガリアの留学時代に何度も訪れていました。

国が崩壊しているので、そこで暮らすボスニア人とセルビア人は国の代表としては参加できません。しかし、クラブの代表としてなら出場できます。国際大会の場で、彼らが紛争を超えて握手できたら素晴らしいという思いもありました。

勤務先であるジャスコに冠スポンサーになってもらうとともに、「世界大会」を名乗るためスイスまで飛んで国際体操連盟と直談判し、第1回の開催にこぎ着けました。同大会の収益金の一部は今も、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を通じ、世界で苦しむ難民の子供たちのために寄付されています。

(編集委員 北川和徳)

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