京都に帰り音楽つくる ロックバンド「くるり」 岸田繁さん
未来像

関西タイムライン
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2019/7/24 7:01
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■ロックバンド「くるり」のギター・ボーカル、交響曲の作曲家、大学教員など多彩な顔を持つ岸田繁さん(43)。2年前からふるさとの京都を主な拠点に活動を続ける。

 きしだ・しげる 1976年京都市生まれ。立命館大在学中にロックバンド「くるり」を結成し、98年にメジャーデビュー。「東京」など多数のヒット曲の作詞作曲を手掛ける。2016年から京都精華大ポピュラーカルチャー学部で教員を務める。

きしだ・しげる 1976年京都市生まれ。立命館大在学中にロックバンド「くるり」を結成し、98年にメジャーデビュー。「東京」など多数のヒット曲の作詞作曲を手掛ける。2016年から京都精華大ポピュラーカルチャー学部で教員を務める。

京都市北区で生まれ、幼いころから父親の影響でロックやクラシック、ジャズなど様々な音楽に親しんだ。大阪の祖母宅を訪れる際によく阪急電車を利用した。車窓から眺める街並みや、電車のモーター音は自分の原体験として作品のモチーフになっている。

立命館大に進み、音楽サークル「ロックコミューン」に入った。くるりを結成する佐藤征史さんらと出会い、バンド活動に明け暮れた。「就職氷河期」という言葉が使われ始めた時期だったが、就職活動に励む同級生を横目に「アルバイトをしながらバンド活動ができればいいや」くらいの気持ち。自分たちの音楽には自信があり、音楽を続けることしか考えてなかった。

■京都のライブハウスで活動を続け、在学中の1998年にメジャーデビュー。その後上京して発表した「ワンダーフォーゲル」などのヒット曲は、在学中にサークルの部室で作曲したものだ。

東京はカルチャーの中心地。デビュー間もない20代は、洪水のようにあふれる情報を全身で浴びたいと思っていた。これまでにリリースしたアルバムは12枚。ロックを基調にしながらも、テクノ、クラシック、民俗音楽など様々な要素を取り入れ、新しい音を求め続けた。東京には様々なルーツの人たちがいる。ミュージシャン仲間から刺激を受け、20年間を走り抜けた。

だが、年齢を重ねるにつれ東京での生活に疲れを感じてきた。数多いミュージシャンの一人として、いつの間にか自分が大きな歯車の中で生産しているように思えた。2年前に京都に戻ったのは「もっと作品を生み出すことに向き合いたい」と考えたからだ。

20年で京都の街並みは大きく変わった。市街地はインバウンド(訪日外国人)でにぎわい、古い町家はホテルやマンションに。一気に新しい街になったような感覚だった。

だが京都に住むと、地域に根ざしている感覚が日々の生活にある。町内会の役員も務めている。東京で俳優の友達と六本木に飲みに行くような浮世離れした生活からは考えられない。これまで培った技術や経験を生かし、あえて東京から離れた場所で発信する。自分なりの働き方改革だ。

クラシックへの挑戦は長年の目標だった。2019年3月の披露公演で観客にお辞儀をする岸田さん=京都市交響楽団提供

クラシックへの挑戦は長年の目標だった。2019年3月の披露公演で観客にお辞儀をする岸田さん=京都市交響楽団提供

■2016年からは京都精華大ポピュラーカルチャー学部で作曲技術などを教える。学生たちの疑問から、自分が分かったつもりになっていたと気づくことも多いという。

今の若者は余裕がないようにも見える。ただ楽しく勉強すればいい時期に、奨学金や就職活動など将来への不安がつきまとう。結果として、無駄を省いた合理的な生き方を求めているようだ。その中で「音楽をやりたい」と集まった学生たちに、自分の知識や経験を生かしてもらいたい。

■同年、京都市交響楽団と組んで交響曲の作曲に挑戦。ロックミュージシャンがオーケストラを作曲するのは異例で、大きな話題になった。

父と共に、同交響楽団のコンサートにもよく行った。「くるり」の楽曲にもクラシックの要素が反映された曲があり、いつか管弦楽曲を書きたかった。ロックにどっぷり漬かっていた身として、交響曲は使ったことのない言語でしゃべるようなもの。悩みながら書き上げた約50分の「交響曲第1番」への反応は好意的で、胸をなで下ろした。

18年には「交響曲第2番」を作曲し、CD化もされた。10月には2曲を再演する演奏会を京都コンサートホールで開く。まだまだクラシックの世界では走り始めたばかり。京都でじっくりと作品作りに向き合い、挑戦を続けたい。

(聞き手は大畑圭次郎)

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