ジャニー喜多川さん死去 男性アイドルのモデル構築

2019/7/10 10:06
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ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ(10日、東京・有楽町)=共同

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんの死去を伝える街頭テレビ(10日、東京・有楽町)=共同

「ジャニーズ事務所」の創業者で、9日死去したジャニー喜多川さんは、歌って踊れる男性アイドルの世界的モデルを築き上げ、半世紀を超えてショービジネスへの情熱を燃やし続けた。

きっかけは、1961年に日本で封切られた米国のミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」だった。人種の異なる若者たちが対立を経て心を通わせるさまを、メロディアスな音楽と躍動感あふれるダンスで描く。

「格好良いな、こんな作品をつくりたい」。少年4人組のジャニーズを結成し、芸能界に進出した。「男は踊るべきではない」と言われた時代への挑戦だった。

「まねはしたくない。自分がいいと思ったことはやり遂げる。それで初めて素晴らしいショーができる」。信念を貫いて生み出した新たなアイドルは少女たちを魅了。韓国など海外で、追随されるモデルとなった。

歌番組から芝居、バラエティー番組、司会へと活躍の場は広がったが、ジャニーさんがステージにかけた熱意は格別だった。コンサートには大掛かりなセットと、きらびやかな衣装を導入。広い会場には可動式の舞台を使って客席との距離を狭めるなど、独創的な演出で、観客を興奮と夢の世界へいざなった。

舞台の脚本や演出などを手掛け、演劇界でも金字塔を打ち立てた。東京・青山劇場では86年から約30年間、少年隊らが「PLAYZONE」を上演。2000年に東京・帝国劇場で始まった「SHOCK」は、KinKi Kidsの堂本光一さんの主演で通算上演回数が1700回を記録し「日本一、チケットが取りにくい舞台」と言われるまでに育て上げた。

舞台で一貫したのは平和への願い。根底にあるのは、米国で生まれ、経験した第2次世界大戦と朝鮮戦争だ。戦争で傷ついた地球に平和をもたらそう、というメッセージを、タレントを通して若い観客に伝えてきた。

半世紀、人気者を輩出し続けられたのは、少年の魅力を見極め、育成に突き進んできたから。大事なのは顔よりも「やる気」や「ハート」。届いた履歴書に自ら目を通して受け入れた少年には「ジャニーズJr」の一員として、無償でダンスレッスンを受けさせる。その数百人の中から華やかにデビューできるのは一握り。ジャニーさんは自ら劇場や稽古場に日々足を運び、スターの原石を見抜き、愛情を注いできた。

表に出るタレントと一線を画し、自身がメディアに顔を出すことはなかったが、ファンにも「ジャニーさん」と親しまれる存在だった。〔共同〕

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