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かつての師、父の下で再起 競泳・長谷川涼香(下)

2019/7/13 6:30
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「もうこれ以上泳ぎたくない」。昨年6月の競泳・日大―中大対抗大会。長谷川涼香(東京ドーム)は失意の底にいた。夏の国際大会前の調整試合とはいえ、得意の200メートルバタフライの記録はシーズンワーストの2分10秒台。「100メートルの時点でめちゃくちゃきつくて心が折れた。これでは恥ずかしすぎて(代表で)泳げないと思った」

日本選手権で2位に終わるなど、シーズン初めから不振が続いていた。挽回を期して大会に出ては「また(2分)8秒台だった」とうなだれる日々。記録は下降線をたどり、かつてないほど落ち込む教え子の様子を見かねたコーチの飯塚正雄は、再起を懸け、長谷川に一つの提案を投げかけた。「来季はお父さんとやってみないか」

去年あれほど苦しんだ2分8秒の壁を、今季は何度も超えるまでに復調した

去年あれほど苦しんだ2分8秒の壁を、今季は何度も超えるまでに復調した

長谷川が水泳を始めたきっかけは、指導者でもあった父・滋の存在だった。3歳で、滋が勤めていたスイミングクラブに入会。体づくりのはずが、父の予想を大きく上回り、幼稚園年中時には4泳法を泳ぎこなした。「僕が二十何年間生徒を見る中で、彼女が一番早くマスターした」と滋。めきめきと成長スピードを上げ、やがて全国大会を勝つまでになった。

小学6年で現在の所属クラブで飯塚に見てもらうようになった後も、父との師弟関係は続いた。試合で納得のいく結果が出ないときは、いつもすぐに滋に電話した。「私にとってはずっと長谷川『先生』。怖いけれど、相談するうちに頑張ろうと思えてくる」

足踏みが続いた昨季は、長谷川自身の中にも「長谷川先生のところに戻っちゃだめなのかな」という思いがもたげ始めていた。だから、飯塚の提案は願ってもない話だった。10月、約7年ぶりの父との二人三脚が始まった。

改めて話し合うと、2人の考える強化ポイントは一致していた。「(スタートやターン後の)アンダーウオーターの遅れをなくそう」。体をくねらせるウエーブ練習に加え、浮き上がりで呼吸せずに手をかくよう取り組んだ。「苦しい中でも息を吸わないことで、すっとスピードに乗れるようになった」と滋。去年あれほど苦しんだ2分8秒の壁を、今季は何度も超えるまでに復調した。

「もうベーシックな能力は(国際大会メダル圏内の)2分5秒台ぐらいある。あとはきっかけさえあれば」と飯塚は言う。その手応えは、長谷川の中にも芽生えている。「持っているものを全て出して、(五輪2大会銅メダルの星)奈津美さんと同じ場所に立ちたいし、超えたい」。覚悟をもって泳いでいくつもりだ。=敬称略

(堀部遥)

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