スーダン、新統治機構の設置で合意、トップは市民と軍が輪番
【カイロ=飛田雅則】長期政権が4月に崩壊して軍政に転じた北アフリカのスーダンで5日、民政移管を求める市民側の組織と軍政側は共同で新たな統治機構を設けることで合意した。機構のトップは文民と軍人が輪番で務め、短くとも3年間は統治する。その後、民政に移るスケジュールだ。だが、軍は6月、市民側のデモに発砲し多数の死傷者を出したばかりで、円滑な移行が実現できるかどうかは不透明だ。

軍政と市民側は3日から首都ハルツームで、隣国のエチオピア政府とアフリカ連合(AU)の仲介で今後の統治の枠組みに関する協議を再開していた。AU側は5日の記者会見で「(新たな機構による統治期間は)3年か、少し長くなる」との見通しを示した。統治機構にテクノクラート(専門家)を加えることも決めたが、構成人数など詳細は明らかでない。
スーダンでは元軍人のバシル氏が4月までの約30年間、大統領を務めていたが、ハルツームなどで物価安定や民主化を求める市民の抗議デモが拡大し、軍のクーデターで退陣した。軍はその後、軍事評議会を設置し、事実上の軍政となる暫定統治を始めた。だが、市民らはハルツームの国防省(軍本部)周辺などで民政移管を求める座り込みやデモを実行していた。
市民側と軍政はバシル氏退陣後の国の運営について話し合ったが、新たな統治機構を文民、軍人のどちらが主導するかで対立し、5月には交渉が暗礁に乗り上げた。6月3日に治安部隊が国防省近くの市民らに発砲し強制排除を始めた。市民側は、計100人以上が死亡したと主張している。
スーダンの混乱が国境を越えて広がる事態を懸念したエチオピアとAUは6月下旬、軍政と市民側の双方に民政移管案を示した。外国メディアによると同案は文民8人と軍人7人で構成する統治機構の設立が柱だった。
4月にはスーダンと同様にアラビア語が公用語の北アフリカの国で、広義の中東に含まれるアルジェリアでも長期政権が市民らの抗議デモを受けて倒れた。周辺国は抗議活動の波及をおそれる。
軍が支える長期政権や独裁政権が多い中東諸国では2011年、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動が盛り上がった。一部の国では民主化が進んだが、ほかの多くの国は社会が不安定になり、イスラム過激派の活動が活発になった。