空から見た世界遺産 古墳と街の移ろい

2019/7/7 6:00 (2019/7/10 16:26更新)
保存
共有
印刷
その他

世界文化遺産への登録が決まった百舌鳥・古市古墳群は49基の資産で構成される。対象外のものを含めると両地域には89基が現存するが、かつては200基超あったとされる。古墳はなぜ減ったのか。日本最大の大山古墳(仁徳天皇陵古墳)がある百舌鳥古墳群に焦点を当て、古墳や街の移ろいを昔の航空写真や現在の映像を使ってひもとく。

堺市に点在する百舌鳥古墳群。墳丘の長さ486メートルの大山古墳(仁徳天皇陵古墳)はエジプトのクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵に並ぶ世界三大墳墓の一つといわれている。「スケールの大きな古墳に圧倒される一方で、小さな古墳は形などをしっかり見ることができ、古代からの歴史を肌で感じられます」と語るのは堺市博物館の白神典之学芸員。一帯にはかつて100基超の古墳があったとされるが、戦後復興期の開発などでいまは44基に。実際、国土地理院の航空写真からは田畑と思われる土地に住宅がどんどん立ち並び、古墳の周りを埋め尽くしていく様子が分かる。そんな都市化の流れにあらがえず消滅する運命をたどる古墳もでてきた。

【消滅した大塚山古墳】

大塚山古墳は戦後の宅地開発で姿を消した古墳の一つだ。墳丘の長さ168メートルの前方後円墳で百舌鳥古墳群の中で5番目に大きかったとされる。陵墓ではないため宮内庁による管理・保存がなされず、1950~52年ごろに住宅地へ姿を変え、85年の発掘調査を最後に消滅した。文化財保存全国協議会常任委員の久世仁士さんは「古墳跡の住宅地には街路がカーブしている所があります。前方後円墳の円の部分だった名残です。街を歩くとかつてここに古墳があったことが感じられます」と感慨深げに話してくれた。発掘では鉄製品が発見され、古墳時代の大型前方後円墳の中でも鉄製品を多く副葬する古墳だったことが分かった。

【消滅を免れたいたすけ古墳】

「橋は当時の文化財破壊の様子をいまに伝えている」と話すのは奈良県立橿原考古学研究所の宮川●(ぎょうにんべんに歩=すすむ)研究顧問。いたすけ古墳の保存運動に携わった一人だ。1955年、古墳を壊し住宅が建てられることになり、土を運び出すため堀に橋が架けられた。だが、研究者や地元住民が文化財保護を理由に反対。昭和天皇の弟で考古学に造詣が深かった三笠宮崇仁さまも現地を視察するなど話題になり、もともと民間の所有地だったが堺市が買い取った。最終的には国が史跡に指定。百舌鳥古墳群の中で失われたものを含めて8番目に大きい古墳は消滅を免れた。橋は現在も一部が残る。

世界文化遺産として注目が集まる古墳群。一つ一つに目を向けると、そこに暮らす人たちや街との関わりが見えてくる。新たな歴史を刻む墳丘は100年後、航空写真で何を伝えてくれるだろう。

(写真映像部 小川望、山本博文)

【関連記事】「仁徳陵」世界遺産に登録 ユネスコが決定

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]