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努力重ね「練習勘」つかむ パラ競泳・木村敬一(下)

2019/7/7 6:30
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1歳半で失明した木村敬一は、地元の滋賀県の特別支援学校の寄宿舎で小学時代を過ごした。視力を失っても体を動かすのが好きで、プールなら安全だろうと母親に勧められて小学4年生の時に水泳を知った。

上京して筑波大付属視覚特別支援学校中学部で本格的に水泳に取り組む。アテネパラリンピック競泳日本代表で、同じく視覚障害を持つ河合純一と練習する機会に恵まれたときの速さが強烈に焼き付いている。「パラリンピックに出るというのはこういうことか。これくらい速く泳げたら……」。憧れのパラリンピアンの仲間入りをしたのは北京大会、高校3年生のとき。

1日5食と厳しい筋トレで体づくり

数々の大会で優勝し、順風満帆な競泳人生。しかし本人は「"アスリート"になる前に"メダリスト"になってしまった」と振り返る。一流アスリートの多くは幼い頃から厳しい練習に触れて育つ。「僕はトップスイマーほどの生活サイクルで(日々を)過ごしてはこなかった」。花にあたる結果が咲いていても、競技者たるべき根っこの部分は未熟なままだったという。

大学生で初めてメダルを手にしても、努力不足の実感がまさった。よりいい色のメダルを求め、母校の水泳部コーチだった野口智博に教えを請う。1日5食、厳しい筋トレで体をつくりかえ、体重はロンドン大会の63キロから70キロへ増加。きついメニューと向き合ううちに、体がどんな状態であれば速く泳げるのか、木村いわく「練習勘」を養えた。

「この練習勘がベースにない選手はいつか頭打ちになる。僕はリオまでの4年間でベースを作れた」。この軸があったから、単身で乗り込んだ米国でもケガなく乗り越えられたという。

東京パラリンピックで表彰台の頂点に立つ姿はイメージできている

東京パラリンピックで表彰台の頂点に立つ姿はイメージできている

その米国留学も簡単な道ではなかった。「彼の障がいの重さで渡るのはリスクもある。でも、何か新しいものを得たいとの思いが強かったはず」とパラ競泳日本代表監督の峰村史世は胸中を察する。目の前の困難より、その先に手にできるものに目を向け実現する。「それが彼の良さ」とも。

東京大会のレース本番は「緊張すればいいんです」と木村は笑う。「メンタルケア……。そういうの、面倒くさいじゃないですか」。悩んでも詮無きことに頓着はしない。山あり谷ありの競泳人生を送り、前向きな達観が身についた。「ま、こんなこともありますわ」という口癖は、"谷"を乗り切る知恵なのだろう。

表彰台のてっぺんに立つ自分を想像できるか、と問うと「頻度は増えましたね」と答えた。あと1年、そのイメージをより鮮明にしていく。=敬称略

(田原悠太郎)

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