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「闇」かき分け、力強い泳ぎ パラ競泳・木村敬一(上)

一切の光を排した闇のなかを、かき分けていく。かすかな光もブラックゴーグルで遮られ、自分が目を開けているのか、真っすぐ泳いでいるのかさえ定かでなくなる。パラリンピック競泳の視覚障害「11」クラスはそんな戦いともいえる。

全盲の木村敬一はこの競技で2008年北京大会から3大会連続でパラリンピックに出場、リオデジャネイロ大会で4つのメダルを獲得。日本パラ競泳界で先頭を泳ぎ続けてきた。

生活でも24時間危機感を植え付けるため米国留学を決断した

そのストロークは多少の粗さを補って余りある力強さに満ちている。「細かい技術を見て学べない彼は、代わりにパワーを身につけるべきだと考えてきた」のだと、パラ競泳日本代表の峰村史世監督が代弁する。

昨年4月、単身で異国の地、米国での武者修行に挑んだ。金メダルを有力視されつつ、よもやの「銀」に終わったリオ大会から約1年半後のことだ。

語学学校に通いつつ、リオ大会で金メダルを争ったライバル、ブラッドリー・スナイダー(米国)のコーチに師事。100メートル平泳ぎやバタフライの後半50メートルを強化すべく、週6回のトレーニングに明け暮れた。寮の食堂で朝昼夕の食事をとり、朝練前には自分で炊いたご飯で栄養を補給する。体重を維持するために毎日4食以上を欠かさない。

危機感が木村を駆り立てた。自分を追い込むことなら、リオへの道のりでもやってきた。「このまま、同じ量の練習を同じテンションでやり続けられるだろうか」「練習に対するぶつかり方がダラダラしてしまう気がして」。現状維持は停滞だ。24時間、生活でも危機感を植え付けたかった。

"わがまま"に対し多くの助けの手

挑戦は報われつつある。18年秋のアジアパラでは50メートル自由形、100メートル背泳ぎ、200メートル個人メドレーなどで金メダルを獲得。19年3月には世界選手権日本代表選考会で100メートルバタフライのアジア記録を更新。自己ベストを塗り替え続け「(米国に)行ってよかった」と手応えを口にする。

ただ、渡米は「最初からみんながいいねと言ってくれたわけではない」。少年だった木村が小さな12メートルプールで泳がざるを得なかった日々は過去のもの。この10年でパラ競泳の練習環境は向上している。「その整った環境を捨ててまで、また新たにゼロから環境を求めることに意味はあるのか」と葛藤もあったという。

それでも、自分の"わがまま"に数多くの人々が助けの手を差し伸べてくれた。応えるべきものを背負ったいま、速くなる以外に道はないと覚悟は決めた。東京パラは1年後。「闇」の先に、まだ見ぬ金メダルの輝きをとらえる。=敬称略

(田原悠太郎)

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