高い検査能力と旧態依然の世界観…JRA薬物検出 - 日本経済新聞
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高い検査能力と旧態依然の世界観…JRA薬物検出

中央競馬の厩舎で流通していた飼料添加物「グリーンカル」から、禁止薬物のテオブロミンが検出され、6月15、16両日に出走を予定していた156頭が一括で競走除外となった問題。日本中央競馬会(JRA)は18日、グリーンカルを納入されていた28厩舎(美浦6、栗東22)の365頭を対象に検査を行った結果、テオブロミン陽性馬が1頭もいなかったと発表した。前週の156頭を含めて、今後の出走への支障はなくなったが、「大山鳴動してネズミ一匹」どころか0匹という結論を見ると、「騒ぎは一体何だったのか」という思いに駆られる。

未検査ロットが「検査済み」リストに

事態の経過を改めて整理すると、6月14日(金)の午後、グリーンカルの販売元である日本農産工業(横浜市)から、納入先の厩舎に「製品検査の結果、テオブロミンが検出された」として、回収の申し出があったことで問題が表面化した。翌15日と16日に競馬開催を控え、13日に出走馬が確定していた最悪のタイミング。被投与馬を薬物検査する時間はなく、JRAは当該28厩舎で両日に出走予定だった156頭をすべて競走除外とする窮余の策を取った。一部厩舎には、個々の従業員の判断で投与しなかった馬もいたが、検証する時間もなかった。

グリーンカルは厩舎内で以前から広く使用されていた製品。国内の競馬では「ロット」と呼ばれる製造・出荷単位が改まった都度、検査してから流通させる規定がある。だが、今回テオブロミンの検出されたロットは、昨年12月から流通していたのに、同社が競走馬理化学研究所(宇都宮市)に検査を依頼したのは今年4月。JRAは、「競馬の薬物取締り」と題した冊子で、各厩舎に検査済みのロット番号を記した「飼料添加物等販売リスト」を配布し、納入された製品のロット番号とリストを照合するよう調教師に求めている。未検査のロットならリストに記載はないはずで、それでも使用したなら調教師の過失となる。が、JRAは「調査の結果、調教師に過失はない」とした。つまり、未検査ロットを「検査済み」としたリストが存在したのである。

日本農産工業が14日に回収を申し出た際、関係者に配布した文書には、回収対象として3つのロット番号が記載されており、うち昨年12月から流通していた製品と、今年5月から流通していた製品は、番号が違っていた。同社側が「同じ製造単位」と認識していた製品に、未検査のまま2種類のロット番号がつけられたことになる。今年4月になって検査を申請した経緯に関しては、同社が「年1度の定期的検査」と認識していたと伝えられており、検査前の製品のロット番号が次々に更新され、出荷・流通するという慣行があったことを疑わざるを得ない。

今回の製品も、検査には約2カ月を要している。1つのロットが全量生産された後、2カ月も在庫として抱えるのは民間企業には大きな負担となるため、こうした点も「検査前出荷」の慣行の背景にあったと思われる。

「陽性ゼロ」混入は微量?

365頭が受けた検査で陽性ゼロだったことは、テオブロミンの混入がごく微量だったことをうかがわせる。また、製品は既に半年近く流通していて、被投与馬は繰り返し出走していたと思われる。当然、上位に入ってレース後の薬物検査対象(1~3着)になった馬もいたはずだが、陽性馬は出ていない。同社は15日に自社ホームページで、テオブロミンを含有した原材料を使用していないと表明しており、製造過程(メーカーは同社子会社のニッチク薬品工業)で何らかの理由で混入したことが推測される。

類似の事例は今世紀に2度あった。最初は2004年12月。飼料添加物の「軽種馬用総合栄養ミネラル・塩」に、カフェインとテオブロミンが混入。やはり未検査のまま広く流通していて、公営・大井競馬では検査対象の144頭中63頭から陽性反応が出て開催中止となった。中央の厩舎にも流通していたが、発覚が木曜日で被投与馬も44頭にとどまり、全馬が陰性で開催には支障がなかった。

もう1件は14年12月で、中山の新馬戦で1位入線したピンクブーケの検体(尿)からカフェインを検出。同馬が失格となった。競馬法違反の疑いで千葉県警が捜査したが、後に厩舎側には過失がないことが判明した。カフェインは同馬に投与されていたサプリメントに混入していて、当該製品は米国の業者が製造。この会社がニュージーランドから輸入した原材料に混入していたとの結論が出た。日本側のルールの肝である「ロット」の概念も、相手が海外業者という事情から、きちんと共有されていなかった。結局、JRAは同馬の馬主「キャロットファーム」に、1着賞金相当の700万円を弁償し、この額をメーカーと流通業者に求償する形で事態を収拾した。この2件は実際に陽性反応が出たが、今回は当時よりはるかに多くのサンプルが全て陰性だった。飼料添加物の検査は、製品のごく一部を抜き取って行う。検査対象のサンプルにピンポイントで混入した可能性が高そうだ。

メーカーへの高い信頼があだに

グリーンカルは4社の卸業者を通じて中央の厩舎に流通しており、4社にはピンクブーケの件の卸業者だったJRAファシリティーズ(東京都)も含まれる。同社はJRA子会社で、元来は施設整備を担っていたが、後に他の関係会社・団体と統合され、現在は飼料の販売も手掛ける。14年の件の当事者なら、ロットの点検にはなおさら慎重を期するべきところ。納入先の厩舎に配布されたリストは当然渡っていたはずで、善意に解釈すればリストを信じたと言うことか。競走馬理化学研究所の理事長経験者は「日本農産工業への信頼度の高さもあったのでは」と話す。公式ホームページによると、同社は三菱商事の100%子会社で設立から88年。グリーンカルも長く厩舎で流通しており、「検査済み」と記載されたリストがあれば、疑う余地はなかったかもしれない。

グリーンカルは地方競馬にも流通していて、13の施行団体のうち、8団体の厩舎で使用されていたことが判明。6月15-17日の間に北海道帯広市のばんえい競馬(1トン級の重種馬がソリを引いて競う)5頭、金沢競馬20頭、千葉・船橋競馬5頭の計30頭が競走除外となった。金沢では4つの競走が除外による頭数減で、本来は複勝式2着払いとするところを3着払いとして払戻金を算出した(払戻金が低くなる)一方、4頭立ての競走1つで、本来は発売しない複勝を発売したため、施行者側は差額の弁済や買い戻しの方針を示している。

発覚当初は各スポーツ紙に「競馬界激震」の見出しが躍ったが、今となっては壮大な空騒ぎに思えてくる。飼料添加物は「陽性」でも、馬はすべて陰性。JRAの評価は、事後失格が出た14年の方が重大事なのかもしれないが、今回は警察沙汰を水際で防いだ代わりに、マスコミ沙汰を演出した格好だ。

記事もSNSの言及も14年より今回の方がはるかに多く、業績へのダメージも甚大だった。東京、阪神、函館3場の15、16両日の売り上げは約470億8939万円で前年比3.4%減。前週までは前年比4%台後半の伸びだった。函館のG3、函館スプリントステークス(芝1200メートル)が13頭立てから7頭に減り、売り上げも前年を37.1%下回ったのが響いた。

一義的には、販売元がルール通り事を運んでいれば防げた事態だった。原因解明は今後の調査待ちとなるが、検査前流通が半ば慣行化していた点を踏まえて、現実的な改善策を打ち出さないと、また「現場レベルの便法」が横行し、ルールが空文化する危険性は十分にある。

これを機に、薬物規制のあり方を全般的に考え直す必要性も感じる。テオブロミンには興奮作用や利尿作用があるため、禁止薬物に指定されているが、薬効の程度を人が制御できず、ドーピングの手段となることは考えにくいという。また、飼料添加物からは検出され、馬の検体からは検出されなかったことは、一方の検査基準が現実性を欠いていたことになる。閾(いき)値を設けず、25メートルプールに1滴たらした程度でも違反とすることが、薬物規制を通じて達成しようとする目的に本当に役立つのかは、再考の余地がある。

前時代的な薬物規制の世界観

今回の一件は皮肉な形で日本の検査精度の高さを証明したが、技術の進歩とは裏腹に、薬物規制の背後にある「世界観」は全く前時代的だ。1960年代後半まで、国内の競馬は危うい面を確かに抱えていた。今日で言う反社会的勢力が馬を扱う人々と接点を持ち、馬券を通じて不当な利益を得ようとした例も存在する。興奮剤などの薬物は、一発芸的に馬の能力を増減させるためのツールだった。競馬法が禁止薬物使用に刑事罰を科しているのはこうした事情からだが、諸外国を見ると、全般的に薬物に甘い米国は例外として、欧州などでは規制のフォーカスが「馬の福祉」に移りつつある。鎮痛剤などを使って、故障のリスクを抱えた馬を無理に走らせるのを封じようという考え方だ。だが、日本の競馬法の世界観とは全く異質なため、JRAは新たな潮流を内規の形で取り込んでいる。

実際に禁止薬物が出て、「警察沙汰」になっても、迷宮入りした例は多い。11年7月に公営・大井で行われた交流重賞、ジャパンダートダービーで3位入線馬クラーベセクレタからカフェインが検出されたが、被疑者は特定されなかった。昨年秋から暮れにかけては、岩手県競馬でステロイド系薬物検出馬が相次いだが、これも未解決。どちらも馬券上の利益でなく、管理厩舎や競馬施行者に対する業務妨害的な動機が疑われており、警察の捜査能力の限界も示した。こうした実情を踏まえると、競馬法段階から規制のあり方を見直す時期に来ている。有名無実化した刑事罰を見直し、ヒトのスポーツのドーピング規制や馬の福祉の観点を取り入れる必要がある。

(野元賢一)

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