経営の傍ら「反公害」 国会で訴え、頼まれて政界に
林業家・後藤国利さん(3)

2019/6/19 6:00
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 家業の製薬会社の業績が回復してきたころ、地元の大分県臼杵市でセメント工場の構想が浮上する。市議会は70年、誘致を決定。それに反対する住民運動に巻き込まれた。

当時、社長業のかたわら薬学を真剣に学ぼうと福岡大に入学したばかりでした。週に2回、福岡と大分を往復する忙しい日々。工場誘致の話題を顔見知りの広告代理店社員と話していたとき、彼がぽつりと漏らしました。「工場ができれば粉じんが降ってくる。変な噂が立ったら、薬は売れなくなる」

家業の製薬会社の社長時代(地元のお祭りで)

家業の製薬会社の社長時代(地元のお祭りで)

目が覚めました。美しい海岸が埋められるだけでなく、街に粉じんが舞えば、粉薬を扱う製薬会社にとっても大きなイメージダウンになる。青年会議所の理事だった私は、仲間を前に反対論をぶち上げました。

すると会議所OBから呼び出しです。「市の計画が走り出しているのに、どういうことだ」。ひょんげもん(地元の言葉で変わり者)の反抗精神がムクムクとわき上がりました。徹底抗戦しかないと腹を固めました。

参考人として国会にも出向きました。「公害の心配があるのに解消してくれない。強引なやり方に我慢ならないから反対しているのです」と訴えました。

 埋め立てが予定されている風成(かざなし)地区は、船からもりを投げてマグロやカジキなどを取る「突きん棒漁」が盛ん。漁協は漁業権放棄を決めたが、反対派は無効確認などを求める訴訟を起こし、裁判で勝利する。

一連の反対運動では風成地区の主婦が脚光を浴びましたが、私のほかにもみそ・しょうゆメーカーなど地場企業が加わり、公害をもたらす恐れのある工場進出にノーを突きつけました。行政の過った判断は住民の声で元に戻せることを学びました。

セメント工場の誘致をめぐり反対運動が巻き起こった(写真は住民集会の様子)

セメント工場の誘致をめぐり反対運動が巻き起こった(写真は住民集会の様子)

工場進出の断念が決まった後、市長選への誘いを受けたのですが、頑として断りました。それでも周囲は騒々しい。いっとき地元を離れた方が良かろうと、2カ月ほど東南アジアやヨーロッパへの旅に出ました。

 結局、75年の県議選に社会党(現・社民党)推薦で出馬し、自民党県連幹部を下して初当選した。国政では田中内閣の金権政治への批判が高まっていた時期だった。

工場反対運動の仲間からの頼みを断り切れなかったのです。市長選は固辞しましたが、故郷を良くしたいという思いは変わりません。

対立候補には、セメント工場の誘致が失敗したことに対する怨念があったのかもしれません。激しい選挙戦で負けも覚悟しましたが、約1500票の差で当選しました。その後、いろいろな経緯があって、3期目からは自民党公認で出馬し、県議は5期20年務めました。

様々な課題を解決し、県議としては十分やりきったなという思いでした。政界は引退するつもりでした。財政悪化が著しい故郷・臼杵市の窮状は耳に入っていましたが、まさか後に市長をやるとはこのときは思いもしませんでした。

(この項続く)

(大分支局長 奈良部光則)

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