2019年9月21日(土)

高速道・地下鉄・ビル一体開発(古今東西万博考)
1970年・大阪 中央大通

関西タイムライン
2019/6/18 7:00
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大阪市中央区の船場周辺は戦後に闇市が密集し、その後繊維問屋街として栄えた。現在はオフィスビルやホテル、マンションが林立する。街並みを変えたのは、1970年の大阪万博開催を機に進んだ「中央大通」の開発だ。

建設中の中央大通を西から望む(1960年代後半、大阪市)

建設中の中央大通を西から望む(1960年代後半、大阪市)

中央大通は港区から城東区までの約12キロメートルを結ぶ。地下の大部分で大阪メトロの中央線が走り、高架橋には阪神高速道路が通る。市が戦後まもなく進めた復興都市計画のひとつとして46年に計画が決まった。

当時の船場の道幅は御堂筋や堺筋を除き、豊臣秀吉が整備したころと変わらない東西7.7メートル、南北6メートルと狭く、人と車による混雑が課題だった。ただ、地元では一部区画などの用地買収が難航。繊維卸商らは「平面道路の貫通は船場を南北に分断する」として反対した。

65年に70年大阪万博の開催が決まった。一方、市は道路幅を維持して一部を高架にし、高架下に地権者の用地補償としてビルをつくる案を政府と協議していた。実現のための法整備が進んでいなかったものの、高速と地下鉄を含めて万博までの開発が求められる中で、同案を採用した。地権者らも計画の必要性は認識していたため「船場センタービル」が70年に開業し、阪神高速と中央線本町駅なども無事完成した。

万博は、高速と地下鉄とビルの一体開発という当時前例のない計画を動かした。中央線は2025年大阪・関西万博の会場となる夢洲への交通の要として期待されている。船場の開発史を研究している大阪府立大の橋爪紳也教授は「結果的に将来を見据えた事業となった。今後はさらなる混雑が予想され、地下空間を再編する必要があるだろう」と話す。(大沢薫)

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