2019年7月19日(金)

大学時代に山林管理 父から任され奮起、山火事も経験
林業家・後藤国利さん(2)

コラム(地域)
九州・沖縄
2019/6/18 6:00
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 大学3年のとき、実家が保有する山林の立て直しを任された。手探りのなか災難続きだったが、持ち前の負けん気を奮い立たせた。

祖父は医師のかたわら、「後藤散」という解熱鎮痛薬を開発し、ひと財産を築きました。しかし後を継いだ父は人が良すぎたようです。番頭に木材を横流しされ、不正の調査と山林経理のやり直しを任されたのが一橋大の学生だった私です。

山火事にあったものの、理想的な森林作りへ「何くそ」と意欲を燃やした

山火事にあったものの、理想的な森林作りへ「何くそ」と意欲を燃やした

製材所など関係先を片っ端から当たりましたが、お金は取り戻せませんでした。もう盗まれるものかと、ペンキで立ち木に番号をつけたりワイヤで結んで鍵をかけたりと必死でした。

大学4年のとき、山林が火事になり、実家で保有していた約50ヘクタールのうち約30ヘクタールが焼失しました。その4年前に、当時皇太子だった上皇さまのご成婚記念で植林した場所です。ようやく育ってきた木が一晩で灰になってしまいました。

ただ落胆している暇はありません。「何くそ、素晴らしい山にしてやる」という執念だけでした。生産効率の良い森作りを目指して、苗の選定、植え方を猛勉強しました。このときの「何くそ」という思いが、その後の人生の指針となりました。

 もっとも当時は、林業を一生続けるつもりはなかった。一橋大を卒業すると、三菱重工業に就職した。

将来は社長になってやる、というほど血気盛んな若者でした。研修で、神戸造船所に2年いました。次は東京で暴れるぞと思っていたところに、実家の製薬会社が経営難という知らせが飛び込んできました。残念ですがやむを得ません。辞職して実家に戻りました。

翌日から社長として出勤です。ちょうどテレビの草創期で、コマーシャルでモノを売る時代が始まっていました。後藤散という薬の名前は「古くさい」ともいわれましたが、私は逆に「古いから安心」というイメージにつなげようと思いました。

とはいえテレビCMを打つお金はありません。思案のあげく、レトロ感あふれる看板を大量に作り、目につきやすい民家の塀などに掲げることにしました。全社員が地元の九州をくまなく回りました。お礼はタオル1枚と後藤散のサンプルです。ひたすら頭を下げました。

売り上げが少し回復してきたので、それを原資にテレビCMを打ちました。「後藤さん、後藤さん、後藤散ちょうだいな」と子どもがせがむ内容が人気を呼びました。サンプルの戸別配布も奏功し、業績はV字回復しました。

思い入れのあった製薬会社ですが、約40年後の2010年に売却しました。インターネットによる大衆薬販売のケンコーコム(現・楽天ダイレクト)を創業していた長男の玄利(げんり)から、「おやじ、この会社は相当まともな経営をしないと生き残れないよ」と言われたためです。22人いた従業員は売却先の会社が全員引き取ってくれたし、今思えば万々歳です。玄利はいい判断をしてくれました。

(この項続く)

(大分支局長 奈良部光則)

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